「制限」は「自由」の圧縮

ふと、自由と制限ということについて考えてみた。

「自由」には制約事項がない。全てを自分で決められるし、いつ何をしてもいい。自分で好きに選択することが出来る。一方「制限」の方では決められた条件・制約事項を守る必要がある。選択の自由は無いか、あるいはあっても制約条件に限定されてしまう。

自由 > 制限?

ただ、制限あってこその自由という考え方もある。例えば帰る場所があるから旅が楽しいんであって、そうでなければただの放浪になってしまう。ダラダラした生活は楽しいけれど、それが毎日になるとそれが単なる日常生活になってしまう。

自由 < 制限

「自由」はプラスのイメージで、「制限」はマイナスのイメージだと思われがちだけど、実は逆ではないかと思う。何かを書くことを依頼された場合に、書式やテーマも自由で、「何をどういう形式でいくらでも書いていいですよ」と言われてしまうと逆に困ってしまう。締め切りは設けないのでいつまでも待ってますと言われると、完成させることができなくなる。喫茶店での読書や仕事、ポメラのような機能が制限されたガジェットなど、そこ・それでやれることが限定された方が進行がはかどる。

自由な方が選択肢の幅が広がるけれど、実は制限された方がやりやすい。やれることが限定されると、その限定された選択肢にフォーカスすることが出来るので集中しやすくなる。

発散と収束

発散と収束という言葉がある。意見やアイデアを発散させることは重要だけど、発散させるだけでは何の役にも立たない。発散したアイデアを整理・集約、つまり収束させてはじめて使えるようになる。何かを人に伝える時には意見や考えを、「」という表現が制限された形式に抽象化して収束させることで、人に伝えることが出来る。「」に入る物は言葉、音楽、絵画、何でもいい。

「自由」=発散、「制限」=収束と考えるとスッキリする。自由に考えて制限の中に収束させる。「制限」に収束させる前に、どれぐらいの「自由」を考慮していたのか。それによって「制限」の価値が決まるような気がする。