情報のインプットは、頭を通り過ぎるだけで無駄な行為

いままでRSSリーダなどで大量の記事を読んできたけど、自分の専門分野の情報はともかく、そうでないものは目の前を通り過ぎるだけ。常に、「大量に情報を処理したけど、けっきょく頭の中には何も残っていない」と感じていた。未読を処理しても「あー、その記事読んだわ。知ってる知ってる」という状態にしかならなかったので、結果、単に時間の無駄に。こういう状態だと、バカ化防止のためには「TVを見ないようにする」ということと「ネットから離れる」ということが同列で比較されてしまうのもわかるような気がする。

どこかの記事で読んだ話。子供が「ねーねーあのね」と、何かについて話しかけてくることは良くあることで別に珍しいことではない。ただその時にその話を聞いてあげないと、話そうとしていたことが子供の記憶に残らないで、さっぱり忘れてしまうらしい。情報をインプットするだけではなく、自分の中で咀嚼・要約をした上でアウトプットをすることで初めて、定着するようになる。特に子供であればあるほど、日常で多くの刺激(インプット)を受けているため、インプットするだけだと自然と捨てるようなメカニズムになっているのかもしれない。このことは子供に限った話ではなく、大人にとっても実は同じ事が言えるのではないかと思った。

文字をキーボードで打つだけだとすぐに忘れてしまうけど、手書きで書くと比較的、頭に残りやすい。これはキーボード入力だと「その情報」だけが頭の中を通り過ぎるだけだけど、手書きをすることで「その情報」に加えて、文字の形や手の動きといった周辺の情報が加わり、情報量が増えるからだと思う。だから、ちょっと心に残ったリンクをFacebookやTwitterに貼りつけるだけだと情報を素通りさせているだけなので、まったく頭に残らないのも無理はない。

インプットした情報をブログの記事にすると、明らかに理解が深まったように感じる。不明な点を調べた場合は当たり前として、特に調べるという行為をしていない場合であっても、読む、要約する、考える、という作業を通じて元の情報を別の視点から眺めることにより、その情報が腹落ちするようになる。

自分がブログを書いてみようと思ったのは、最初は文章力を強化するのが目的だった。一ヶ月間、毎日何かしら書くようになってだいぶ文章を書くことに慣れてきた。そのため年末ぐらいからブログを書くという行為を、物事をより深く考えるための道具の一つとして使おうと考えるようになってきた。

普段から思考が深い人は、普通の人が「内容を要約してアウトプットする」のと同じことを、無意識でやっているのだろうと思う。凡人が同じ効果を得るためには、まさに実際に要約したり記事にしたりして、強制的に視点を変えてあげることが必要だと思う。少なくとも、ある程度の時間を使って考えたり調べたりすることで、「その情報」に関してまったく記憶に無いということが無くせると思うし、無くなってきたと感じる。

2012年のうちにブログを定期的に書くことは習慣化できたので、2013年は少しでも多くのことを「考える」ようにしたい。