ブラック企業にも存在価値はあると思う

ブラック企業は、存在するだけで悪だ、そこから早急に脱出すべきだし社会からも消えるべきだ、と言われることが多いように感じる。ルールを守る企業を潰すことになったり、労働力の搾取というイメージがあり、確かに同意ではある。ただ一方で、その業界や「ブラック」の定義にもよるけど、必ずしもそうとは言えないケースもあるんじゃないかと思った。

例えばSI業界における2次、3次受けの下請けのブラック企業の場合。とても微妙なスキルの人であっても、頭数いくらで金額が付く。そのため、応募すれば誰でも入れるということも少なくない。もちろん敷居の低さと過酷さは、ある程度リンクするだろうけど、そもそもの能力が無い・不足している人であってもブラック企業は受け入れてくれる。つまり雇用の受け皿の一つとして、立派に機能しているという面もある。

労働力に対する報酬のダンピングというか、生活のために働くことになってしまう一方で、逆に言うと、働くことで最低限の生活は出来るようになる(可能性が高い)。

もちろん「ブラック」の度合いにもよるし限界はあるけど、ブラック企業が無くなってしまうと、そのような人達の受け皿がなくなってしまう。「素人は去れ」ということは簡単だけど、そういう人達はどこへ行けばいいのか。この世から消えてなくなってくれるならいいけど、そうもいかない。当然その一部は生活保護に流れるだろうから、結果として社会が成り立たなくなってしまうんじゃないか。

ホワイト企業になると?

仮に世の中の企業がすべて「ホワイト企業」になったらどうなるんだろうか。能力がなくても必要以上の給与がもらえるという企業はあまりにも現実離れしているので、能力が「正当に」評価される企業をホワイト企業と定義してみる。

ホワイト企業においては、自己責任がより求められるようになる。能力が微妙な人間はそもそも入社することが出来ないし、仮に入社できたとしてもその「アウトプット」が正当に、つまりその能力に応じてキチンと「低く」評価されることになる。フェアな企業や社会であることは重要ではあるし、それが資本主義なのかもしれない。ただそれだと能力がない人は、救いようがなくなってしまう。

ブラック企業でも得られることはある

似たような構図として、南北戦争の奴隷解放の時代の話を聞いたことがある。奴隷が解放されることそのものは間違いなく良いことだけど、一方で、奴隷は持ち主の管理責任の元、支配のみではなく管理もされてきた。奴隷から解放されることにより、それまで奴隷だった人達は望まない自己責任をおしつけられ、結果として工場などで使い捨ての労働力として酷使されるようになってしまったという。

以前、「10年間泥のように働く」ということを言ったSI企業の人が叩かれまくるということがあった。自分自身も、ブラックな企業で死ぬほど働いてきた。ただ、労働基準法て何? という状況でそれこそ泥のように働いた年月で身につけたスキルや経験は、確実に自身の血肉になってくれていると感じる。労働に対する対価を給与だけで判断すると、当時はとても大変だった上に圧倒的な搾取の元での労働ではあったけど、長い目でそこで得られたものを振り返ってみると、少なくともトントンではあったように思える。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」だからかもしれないけど。

重要なのは「ブラック企業を無くすこと」ではなく、そのブラック度を少し下げることじゃないかな、と思う。