「伝える」についての勘違いと日本ユニセフ問題について

文章の書き方、特に文法や言葉の使い方などではなく、「書くという行為」に関する考えや心構えについて書かれた本においては必ずと言っていいほど、「何を伝えるのか」ということを明確にする必要がある、ということが書かれています。

今まで勘違いしていたということに急に気づいたんですが、あくまでも「何を」伝えるかを明確にしろと言ってるのであって、書こうと思った事柄に関して解決策や提言、誰も知らないようなことを書かないといけないというわけではない。もちろん書けるに越したことは無いですが、その事柄に関して「あなたはどう考えるか」それを書くことこそが重要かつ唯一の目的なんですよね。

なぜ今までそう思っていたのかわかりませんが、その結果として「書くこと」に関して、自分で勝手にハードルを上げていました。何か気になったことについて、自分の視点、その時の能力で考えたことを書けばそれでいい。

最近話題の日本ユニセフについて考えてみた

日本ユニセフ経由だと募金総額の25%(でしたっけ?)をピンハネされてしまうけど、黒柳徹子のユニセフに直接募金をすると100%募金に回る。日本ユニセフは偽善的な組織で、募金によって私腹を肥やしている。ここ数日、そんな話が話題になっています。

「アグネス憎し。私腹を肥やす日本ユニセフはけしからん」というものと、「人が動くとコストがかかる。黒柳徹子は確かに100%募金ではあるけど、資産のある黒柳徹子だから出来る。募金総額はピンハネしていると言われている日本ユニセフの方が多いじゃない」そういった意見を読みました。

私自身の意見は後者、ただし募金総額から抜く金額が常に一律なのは乱暴じゃないか、と考えています。

物事にかかる費用には、家賃などのようにそこに住む・利用する人間が何人であっても固定の金額である「固定費」と、給与や交通費のように人が増えるとその分だけ増える「変動費」の二種類があります。人1人あたりにかかる費用を計算する際は、固定費を人数で割る(按分する)ことで計算します。当然、実際の人数が増えれば増えるほど一人当たりの固定費は薄まっていきます。

日本ユニセフの募金額からコスト分として抜く割合は、ある人数までは妥当なんでしょう。ただ、ある閾値を超えた時点で貰いすぎになってしまいます。港区にかなりのコストをかけて事務所を作ったという話もあるようですが、固定費比率が薄まりすぎてしまうため、抜く割合の妥当性をキープする。これが事務所などに大きなコストをかけている理由なんじゃないでしょうか。抜く割合を一定額にするのではなく、ある金額を超えたらその割合を階段状に下げて行く。そのような方法にすることで、このような固定費を上げて続けていような行動を抑制できるのではないでしょうか。

ユニセフと日本ユニセフの関係について自分は何も知らないし、どうあるべきだという意見を持っているわけではないので、何も言えないなー。そう思っていましたが、解を持っていなくても、そのテーマについて自分の視点・考えを伝えるだけでもいいんだ。そう考えると、とたんに文章を書く敷居が下がったように感じます。しかも、書くまでは考えてもいなかった自分なりの意見を見付け出すことができました。