カテゴリー別アーカイブ: つれづれ

高校野球には「降参」が必要では?

野球に興味がないのであんまり良く知らないけど、最近の高校野球の試合で、1試合で11盗塁をしたことが、高校生らしくないとか、圧倒的に点数差がある時には盗塁をしないという暗黙のルールを破ったとかで、少し話題になっているらしい。

馬鹿じゃないの?
それで手を抜かれた方は納得するの?

「高校野球だから相手の気持ちを考えないといけない」というようなことは良く聞く。でもこれって、部とはまったく関係のない生徒が不祥事を起こして、試合に出られなくなってしまったみたいな、モヤモヤを感じてしまう。何か不都合があるのなら、はっきりとそういうルールにしてしまえばいい。暗黙のルールじゃないと何か都合が悪いの?

そういえば野球をはじめとしたスポーツって、「降参」が無いことに気づいた。格闘技には降参があるので、スポーツか格闘技かで降参の有無が決まるのかな? いや、剣道や柔道には無いな。その線引きはどこにあるんだろう。

まあそれはともかく、「もうこれ以上やっても無駄だ。自分達が惨めになるだけだ」そう思ったらいつでも降参できるルールがあってもいいのにな。「勝負は最後まで何が起こるかわからないから諦めない」なら、やり続ければいい。「暗黙のルール」なんかよりも、よっぽど健全だと思う。


エンジニアは問題を5分で解決することより、「満足度」を意識すべき

ちょっと古い話題かもしれないけど、自社の人達で解決できない問題を、「10万円払うから何とかして欲しい」と泣きつかれたので実際に見てみたところ、5分で解決できてしまった。約束したにも関わらず5分で出来てしまうようなことなんだから10万円は払えないと言われた、という話を読んだ。

あー、よく聞く話。「労働時間」じゃなくて「解決」に対しての対価なんだから、解決に何分かかろうと払うべきだし、こういう人に限って、仕事は裁量労働性だから何時間労働しようと残業代は払わない、みたいなダブルスタンダードを平気で言うんだよね。そもそも時間で言うんであれば、調査から解決までに要した5分ではなく、5分で解決するためにこれまで経験、学習してきた時間も含めて考えるべき。

ただ一方で、相手の「満足度」を意識することも重要だと思う。人ってそんなに合理的に物事を考えられないので、機能や結果じゃなくて満足にお金を払うんだよね。例えば外食をする場合。すき家と素敵な雰囲気のフレンチのお店。腹を満たすという機能ではどっちも大差が無い。美味しさは違うかもしれないけど、まぁそれはこの際置いておく。食事が終わった後、どっちが「満足」かと言うと、普通は後者の方が満足度が高い。料理そのものだけではなくて、料理の盛りつけ、音楽、店の内装など、全部を含めての満足に対してお金を払う。

相手が論理的、合理的に物事を考えてくれる場合には何も問題無いんだけど、そうでないことの方が圧倒的に多い。本質を見ろよと感じることも多いけど、それを相手に求めてもしょうがない。例えそれが件の問題のようにどうしてもと頼まれて行った場合であっても。

実際にあった出来事をノンフィクションとして小説あるいは映像にする場合であっても、演出をまったくしないということはあり得ないらしい。まぁそうだろうね。あまりやりすぎるとねつ造と言われてしまうけど、多少の整理整頓とお化粧をすることにより、よりわかりやすくなったり、ドラマチックになる。件の問題も、5分で解決しちゃったのはしょうがないといえ、より満足度を上げる工夫は出来たんじゃないかなとも思う。背景が良くわからないので、実際にどういうことが出来たのかはよくわからないけど、例えば再発防止のための運用ルールを作ってあげるとか、他におかしなことが起きていないのか調べてあげるとかね。これを馬鹿らしい、何でそこまでと言い切れる人は、そういう人達を相手にして消耗した経験が無いんじゃないかな。

まったく皮肉とかじゃなく、たぶんそれは幸せな人だと思う。


将棋に絶望してしまった

去年の年末休みから急に、将棋をやるようになった。小学生の時に友達同士でやっていたので駒の動かし方ぐらいは覚えていたけど、なぜやりたくなったのか、きっかけはよく覚えていない。

ただ、一度凝りだすととことんハマってしまう性格なので、冬休中はほとんど一日中、仕事が始まっても行き帰りの電車ではひたすら将棋の本で勉強。週末はiPadで将棋、あるいは将棋会館に将棋を指すようにまでなっていた。

おもにやっていたのは将棋ウォーズで、数ヶ月で2級にまで昇給できた。ほとんど初心者同然の状態からそこまで上がれたのは、我ながら勉強したなと思う。ただ一方で、相手の手をあんまり考えずについつい早指しをしてしまい、ボロ負けしてしまうことも多かった。

それでも何とか勝ったり負けたりをしていたけど、ある時、急に糸が切れた感じがした。将棋が強くなったからって何になるの? そういう声は始めた当初から聞こえ続けていたので特にどうこうということもない。ただ、何だかわからないけど、もう無理だ。そう感じてしまった。

そこからは早かった。
一気に冷めてしまった。月に何回か、会社の昼休みに時間が余った時にやることはあるけど、もうあの時の情熱は返ってこない。何なんだろう、これは。あんなに楽しく感じていた将棋が、カラーだった映像が白黒の味気ないものになってしまったかのように、一気につまらないものになってしまった。


コンビニ店員はコマンドを順番に送る必要のあるロボットと同じだなー

コンビニで買い物をする時は大抵iDを使っています。商品を選び、レジ置いた時点で

iDで

と伝えるんですが、毎回必ずと言っていいほど、商品を袋詰めした後に、「ん?」という顔をされて支払い方法を聞かれます。店員が日本人かどうかに関係ないので、日本語力の問題では無いと思います。

毎回ちょっとイラっとしながら、もう一度「iDで」と伝えるんですが、ふと、こういう人は自身の動いているマニュアル通りの順番で答えを入力してあげないと、受け付けることができないんだということに気づきました。

彼らの頭の中では、

  • 商品を受け取る
  • ポイントカードの有無を確認する
  • 商品のバーコードを読み込む
  • 温めかどうかを確認、あるいは袋詰め
  • お金を受け取る、あるいは支払い方法を確認する
  • 決済処理
  • 商品を渡す

というプロセスが順番に実行されているだけで、この順番を無視して情報をインプットしてもコマンドが無視されてしまいます。ある種の、プログラムみたいな動きをしているんですね。

そういえば昔、ファーストフードで注文の前にまず持ち帰りかどうかを伝えると、混乱したり、あるいは最後にまた聞かれてしまう、というようなネタを読んだような気がします。コンビニ店員としては、客なんて工場のライン作業で流れてくる部品のような感じなのかもしれません。これを思考停止ということもできますが、それよりも前に、何だかゾッと感じてしまいました。

少なくとも明日からは、イラっとしないように最後に支払い方法を伝えるようにしようと思いますが、何だかモヤモヤしたすっきりしない気持ちです。


ケツ毛に間一髪の所を助けられた

人間の体の中で最も無駄なものはケツ毛である。かの夏目漱石先生も言いました。言ってません。

しかし今日、その無駄だったはずのケツ毛によって九死に一生を得た経験をしました。
大丈夫です。漏らしてしまった人は居ません。

奇跡の軌跡

ここのところ風邪でずっと調子が悪く、具合が悪い日が続いていました。

今日の仕事を終え、電車に乗ったあたりからでしょうか。お腹が少しゴロゴロしてきたかな? と感じるようになってきました。いっそのこと痛くなっていれば普通にトイレに寄って帰っていたんでしょうが、そこまでは痛くなく。まぁ普通に家まで持つ、というか別にトイレに行きたくなるほどではありませんでした。この時点では。

ただ家に近づくにつれて、少しずつ少しずつ、何だかお腹が自己主張をしてきました。それでもトイレに寄って帰りたくなるほどではなく、なんとも言えない中途半端な状態。

いつもはコンビニに寄って雑誌を立ち読みして帰ることが多いんですが、何だか嫌な予感がして、今日はまっすぐ帰ります。家に向かって歩いていくと、どんどんお腹が痛くなってきます。どん、どん、どん。定期的に波が襲ってくる感じで、何だかやばそう。

それでもようやく家に着き、ドアに手をかけた瞬間。

ぷす、ぷす、ぷすー。

まったく出る予兆がなかったにも関わらず、急にオナラが出ました。これはマズイ。違うものが出てしまうかもしれない。そう思って必死に耐えようとしたんですが、全然効果がありません。

「出そうなのに耐えきれなくて出してしまう」

そういうものとはまったく異質の感覚。そもそも出ようとする実感がないので、まったく止められません。

パス、パス、パス。
ブリュリュリュ。

ああああああああああぁ。
絶望的な音が聞こえました。絶望的な思いを抱えたまま、トイレに駆け込むます。そしてパンツを見ると、

何もありません

えええ? 確かに何か出たような感覚があったのに。

しかも、そのまましばらくトイレに座っていても、さっきまであれほど自己主張の激しかったにも関わらず、何一つ出ようともしません。何か釈然としない思いのまま、念の為お尻を拭くと。。。何だか水っぽい。

はい。そうです。ケツ毛が、突然の訪問者を全て受け止めてくれていました。思いもよらない援軍でした。この時ほど、いくら邪魔だからといってケツ毛を剃らなくて良かったー、と思ったことはありません。

普段は何の役にも立たない、むしろ邪魔に感じていた存在だったのに。いざという時はやってくれるんですね。人間の体には無駄なものは何もない。どこかで聞いたような聞いてないような。そんな言葉を思い出しました。


ツールとしての文章と、目的としての文章

文章術について悩み、色々な本や記事を読んできました。その結果、

  • 何か目的やメッセージがあり、文章はそれを実現するためのツール
  • 文章を書くことが目的そのもの

の二種類のケースがあり、文章術やブログ術の多くが前者を対象にしたものだということを理解しました。特にプロ志望の人を対象にしたものは、ほとんど全てです。

前者を目的とした文章の場合、言いたいことをあらかじめ明確にしてから書け、読む人の立場で書け、などなどのコツが書かれており、確かにそれ自体は納得できることばかりですし、書かれた文章も読者にとって「面白い」と感じる文章になるんだと思います。

ただ、その文章、書いている人自身は「楽しい」と感じられるんでしょうか?

アフィリエイトブログやあるいは何らかのブランディングなど、何か別の目的があって、文章はそれを実現するための単なるツールであれば、文章を書くことやその内容で楽しむ必要なんてありません。だからそれが目的だったら、読者のことだけを考えた文章でいいんだと思います。

ただそれだと、書くという作業の中で、自分でも気づいていなかったことを発見できた。モヤモヤしてよくわからなかったことが、文章を書くことでスッキリ整理された。書くこと自体を楽しむことはできません。

ちまたの文章術を読んで、その内容を理解や納得はできるけど、何だかしっくりこない。そのモヤモヤした感覚は、その目的が自分とは違っていたからだということに気づきました。世の中・他人に対して何か伝えたいことがある人はまた別なんでしょうが、自分のように特にそういうものが無い人間にとっては、

そもそも伝えたいことがない。だから、文章を書くことで他人に伝えたいことも無い。

わけです。「何かを伝えることを目的とした、ツールとしての文章」に関する記述がしっくりこないのも当たり前でした。

自分自身にとっての文章は、目的そのもの。書くことによって、色々なモヤモヤしていたものをスッキリさせたい。

確かに、読む人にとってはそれは「面白い」文章ではないかもしれませんが、他人の前に自分自身がまず「面白い」と感じる文章で無いと、書く目的がなくなってしまいます。まずは自分自身が楽しいと感じられることを第一に、文章を書いていきたいです。

 


医者と女房は新しいほうがいい

いや、女房は関係無いんですが、風邪ですごく久々に病院に行きました。正確には町中にあるクリニックですが。

風邪なんてどこの病院でもいい。どうせロクな診察もされないし、薬がもらえればいい。そう考えていつもは近所の古ぼけた病院の内科にかかっていたんですが、間違っていました。新しい病院・機材、専門医の威力をカラダで体験しました。

耳鼻咽頭科に行った

先週からずっと風邪を引いて調子が悪かったので、風邪薬を飲みながら騙し騙しやってきていたんですが、先週後半あたりにいよいよダウン。2日会社を休んだ所でこれは駄目だと思い、病院に行くことにしました。

インフルエンザや風邪には特効薬は無く、熱や鼻水などを緩和するという、いわゆる対症療法しか無いので、基本的には安静にして自身の免疫力で治すしか無いということは知っています。

自分の風邪の症状は、たいていは鼻水や喉の痛みが激しく、あとはその時々によって熱と咳が出たり出なかったり。なので、近所にここ1年ぐらいに新しく出来た内科併設の耳鼻咽頭科に行ってみたんですが、なんで今までここに来ることに考えつかなかったんだ、と後悔する程の劇的な違いがありました。

今までの風邪の診察方法といえば、ごく簡単な診察を受けて、薬か処方箋をもらって帰る。それだけでした。しかしこの病院は、新しいからなのか、あるいは耳鼻咽頭科だからなのかわかりませんが、いつもよりも心持ち鼻や喉の検査が長めに感じた診察が終わった後に言われました。

じゃぁ、あとは吸引をしていってください。
薬を喉とかに直接当てますのでねー。

「んん? 何のこと?」と思い看護師さんに示されるまま別室に行くと、そこには横に細長く、6つのチューブが出ている機械がありました。

チューブ2本が1セットで、左からハナ、ノド、??(忘れました) と書かれています。指示されるまま、まずはチューブを鼻の中に突っ込み、鼻から息を吸います。特に痛かったり苦しかったりということはありませんが、鼻の中に粉があたっている感じがします。それから隣のチューブを口に入れて今度はノドに対して同じことを。最後の1セットは使いませんでした。

こんなことをやったのは生涯初めてで、何だこれ? と一瞬感じましたが、効果は抜群でした。

それまで水っ鼻が残っていた鼻が完全に通った上に一気に止まりました。少し痛かった喉の痛みも無くなりました。喘息の吸引器みたいなものなんでしょうかね。終わった後にうがいをするようには言われなかったので、もしかしたら違うのかもしれませんが。

しかし、この機械の効果は凄いです。実は風邪はまだ全然治っていないので、鼻水とノドがスッキリした効果しか無かったんですが、それでも充分助かりました。

開業医の場合、なかなか新しい機械を買うことも出来ませんし、よほど勉強熱心な医師でない限りは、過去に学んだ古い手法のままになってしまうのもしょうがないかもしれません。ただ開業間もない病院であれば、少なくともその時点での最新の手法と最新の機械が導入されるわけなので、若手の生きのいい開業医の居る新しい病院は、なかなかいいかもしれません。

チューブを鼻に突っ込みながら、そう感じました。


専業主婦の年収を1000万円と言うのは勝手だけど

最近もまだそう言われているのかどうかはわかりませんが、以前、専業主婦の労働を年収に換算すると1000万とか1200万円になる(だから離婚時の財産分与額は、それを加味して計算しなさい)という話を読んだことがあります。

その額の算出根拠や妥当性はともかく、値付けは言ったもん勝ち。本当の価格は「相場」で決まる、ということを理解していない人が多いんだなー、と感じました。

例えばIT業界はそれの顕著な業界です。多少スキルが微妙な人であっても、ITスキルを持っている人が少なかったり居なかったりする会社では重宝され、またその評価も比較的高くなります。一方で、そのスキルを持っている人がいくらでもいて、かついなくなっても困らなかったり簡単に補充できるような状況においては、相対的に相場が安くなるため、評価もそれに乗じて低くなります。

値段をつけるのは自由。ただ、その価格で買ってくれる人がいないと単なる妄想にすぎません。骨董品屋で、誰も買う人がいないようなものに法外とも思える金額をつけて、その結果いつまでも売れ残っているようなことになります。

物の金額を評価する時は、本当にその金額で売買されるのか(買う人がいるのか)ということを見ることで、その妥当性を判断することができます。


食間に飲むよう指示された薬を食後に飲むとどうなる?

何だかはっきりしない天気が続いているせいか、家族全員ずっと風邪を引きずってしまっています。

風邪を治す薬は存在しない。もし作ることができたらノーベル賞ものだ。そんな話をどこかで見たことがあります。薬で風邪を治すことはできず、症状を緩和することしかできないそうですね。ただ、直接治癒に繋がるものじゃないにせよ、鼻づまりや咳を押さえて早く寝るために、寝る前にだけ飲むようにしています。

うちの嫁は、葛根湯を昔から愛用しているらしいんですが、葛根湯はふつうの風邪薬とは違って食間に飲むものなんですね。先日、「食事の前に葛根湯を飲むのを忘れた。飲まないよりは飲んだ方がまだマシよね」と言って食後に飲んでいたんですが、ほんとにそうか?と、ちょっと気になりました。

少し調べてみたところ、普通の風邪薬が食後、それも出来れば30分以内に飲むことを推奨されているのは、風邪の各症状を緩和する作用が胃酸の分泌も押さえてしまうため、もっとも胃酸を必要とするタイミングで薬の効果が出始めるのを防ぐためだそうです。もっともこれは市販薬だけの話で、薬局で処方される医薬品の場合は、胃荒れを防ぐ成分も含まれているそうです。

葛根湯のような漢方薬の場合、胃荒れを引き起こす成分は含まれていません。そのためいつ飲んでも害は無いですが、もっとも効果を発揮するのは胃が空っぽの時、つまり食間ですね。だから、食事の前に飲むにしてもおよそ一時間以上は前に飲まないと食事の消化に邪魔されてしまい、ほとんど効果が無いようです。

だから、別に食間を指定された薬を食後に飲んでも害はないですが、効果も無いので、結局は飲む意味も無いと言えます。

もちろん処方薬の場合には薬効も強く、また理由も効果を最大化することだけじゃない可能性があるので、素人の勝手な判断は禁物です。念のため。


スマートノートを始めた

前から名前ぐらいは知っていた岡田斗司夫氏のスマートノート。先日KDPで安売りをしていたので、買って読んでみた。

あとで調べてみたら、ほとんど 【文字起こし】スマートノート原形岡田斗司夫のひとり夜話 第4回のスマートノート の内容と変わらなかった。自分では視てないけど、文藝春秋講演の動画トークライブin奈良「岡田斗司夫のプロデュース論」(第1回スマートノート) というのもあるようだ。

スマートノートは、昔やっていたユビキタスキャプチャに近いけど、それよりもずっと思考が深まるように思える。ユビキタスキャプチャでは日々の出来事や思いつきなど、短期記憶に入ったものを何でも記録していくわけだけど、書き方や内容は全くの自由。とにかく書き留めていくことがポイントだったけど、その自由度の高さが次第に逆にストレスになっていって、続かなくなってしまった。

スマートノートでは、まずノートの見開きの右ページに、ふと感じたことを書く。最初は感じたことを書くだけなので、書くまでの敷居が低い。そしてその後ゆっくり、なぜそう感じたのかを深堀りしていく。例えば昨日考えたことは、「オンプレをクラウドに移行するとコストが見えるようになるので、チューニングに工数をかけるインセンティブに繋がる」と思いついて、なぜそう思ったのか、これを実現するためにはどうすればいいのか、と思考が広がっていった。

「感じた事をまず書く」と言うプロセスをまず通す。そしてその感じた事を言語化することで、考えるきっかけを作る。この辺りがスマートノートのポイントだと思う。決してそこで結論を出すことや論理を完成させることを目的としているわけじゃない。ノートの空白を埋めることが、すなわち考えることに繋がる。内容が中途半端で終わっても全く問題ないし、同じ事を繰り返し何度書いても構わない。

またページの使い方や書き方に対して、ゆるーい制約事項がある。これが、薄い罫線の引かれたノートに文字を書いていく時のように、ガイドのような効果を果たしてくれる。

日々、自分が感じたことを書いていくことで、物事をいかに「何となく」のままにしていた事が多いのかを気づかされた。既に、ノート上で途中まで考えたいろいろな事が、ふとした時に繋がったという経験も出来た。

久々に、これから続けていきたいと思える習慣に出会えたと思う。