カテゴリー別アーカイブ: つれづれ

秋葉原の店員にならなくて「助かった」とつくづく思った

すでにあちこちで話題になっているけど、石丸電気が閉店するらしい。いまはエディオンに名前が変わったんだったか。昔、20年ぐらい前かな、秋葉原でバイトしていたことがある。就職を控えて、今後どうしようかと思っていた時に、「社員にならないか?」と誘われた。

昔からIT業界で仕事をしたいと思っていたので断ったけど、もしそのまま店員になっていたら、どうなっていただろうか?

勤務時間は実質8時30分〜21時ぐらいで、日による変動はほとんど無い。IT業界のように急なトラブルによる残業などがほとんどないため、労働時間のバラツキが少なく、予定はとても立てやすかった。週休は平日に1日。多くのIT企業より勤務条件はいい。

ただ正直、仕事内容はつまらなかった。バイトはインセンティブが付くこともなかったというのもあるけど、まさに時間を金に変える仕事だった。当然、特にスキルが身につくこともない。

当時は景気もそう悪くなかったので、給与はそ学生のバイトとして考えると、そう悪いものでもなかった。ただ、ネット通販の普及により、全ての状況が変わってしまった。いま振り返って考えると、危なかったな、と思う。バイトしていた店も何年か前に倒産してしまった。仮に店員になってしまっていたとしたら、特に際立ったスキルも無いし、量販店はどんどん潰れまくり。よっぽど販売スキルが高いならともかく、そうでないならまったく潰しがきかない。

当時に先見の明があったわけではなく、単に運が良かった。自分にやりたいことがあって、その能力を伸ばすために頑張っている、とかであればまだいい。でも強くやりたいと思っていたことも無かったので、別のスキルを生かして再就職というのも難しい。当時の仲間達には申し訳ないんだけど、ほんとに正直助かったと思う。


秋葉原で福袋を作った時の思い出

アップル恒例の福袋のレポートがあちこちに上がり始めた。今年の目玉は MacBook Air のようだ。33,000円の福袋なので、金額だけ見ると確かにお得。ただ徹夜してまで欲しいかというと、そうでもない。買えたらラッキー程度。

ふと Wikipeida で 福袋の定義 を調べてみる。

今様の狭義で言う福袋は、近現代の日本における商習慣の一つ。年始(正月)用の割安な商品として企画販売される、袋詰め商品であり、複数の異なる品が同封されているものである。

何が入っているか伏せられていることをコンセプトに、幸福・幸運を引き当てることができる可能性、すなわち、ささやかな射幸性を謳うことを特徴とする(ただし、近年[平成以降]は内容を明かした上での販売が例外的でなくなってきている)。

年表 を見ると、アップルの福袋販売は日本で好評だったため、本国でも “lucky bag” として逆輸入されたらしい。

福袋を作る目的は二種類あって、ひとつは在庫の処分。損した感を感じさせないように、トータルでちょっとお得な気分になるように作るのが腕の見せ所。もう一方は企業や店舗のブランドイメージを強化することを目的としたもの。こっちは短期的な利益は度外視して、いかに「得した!」と思ってもらえるようにするのかがポイントになる。アップルストアとか百貨店はこっち。当然、ブランドイメージを少しでも毀損するようなものは入っていないので、絶対に得をする(はず)。

もう20年ぐらい前になるか。当時、秋葉原のゲーム屋でアルバイトをしていた。他の店員達と競い合って、おもしろ福袋を作って遊んでいたのを思い出す。年末になると、仕入れミスで大量に余ってしまっているソフトが必ず数本はあった。残しておいても場所をとるだけだし、売れる見込みもないものばかり。福袋の数は、それらのゲームの在庫数によって決まるようなところがあった。

またその店ではいわゆる18禁のアダルトゲームも扱ってたので、アダルト袋を作った時はノリノリで面白かった。当時なぜか触手ゲームが一大ブームだった。おやつのカップ麺やシラタキとかもいれて「触手セット」を作ったら大好評だった。

今はどうだかわからないけど、当時は店員の裁量がだいぶ大きかった。いや大きいというかほとんど野放しだったので、かなり自由にできた。店長にばれないように、しらたきやこんにゃく、料理の本などをあわせて、「昼のおかずセット」を作ったり。これは怒られるかもしれないので、何が入っているか明記した上で売ってたけど、普通におばあちゃんが買っていったりして、速攻で売り切れた。

昔は結構気軽に店員のセンスとノリで自由に福袋を作ることができた。近隣の店も同じようなノリで、お互いの福袋の中身が何か笑いながら話したり、ネタで競い合っていたようなところがあった。

いまはすぐに各店舗の福袋の中身がネットで公開されてしまう。どうしても保守的にならざるをえないんだろうな。あまり当時のように無茶苦茶な、だけどパワーを感じる福袋は見なくなってしまった。福袋は作るもので買うものじゃない。そういう意識がどこかにあるので、自分で買うことはない。中身が公開されると見る方としては興味深いけれど、ちょっと残念だ。


オプティマが折れたのでカスタム743を買った

まだ買って半年ちょっとなのに、先日買った アウロラのオプティマが折れてしまった。キャップを回していつものように使おうとしたら、ぽっきりと半分に。

折れた場所は、ちょうど他の万年筆で言うところのコンバータのあたり。確かにどこかのサイトの記事ででも、「軸のところがエボナイト製で脆い」というような記事を読んだことがある。常にキャップを締めすぎないように締めすぎないようにと、注意して使っていたのにも関わらず、あっけなく折れてしまった。

2012年最後の日にも関わらず、ツイテない。ただ、今年最後の厄落としと思い、いや、そうとでも思わないとやってられない気持ちを持ちつつも、オプティマを買った日本橋の丸善に、保証書と共に持っていった。

年末年始なので修理が終わるまで一ヶ月半ぐらいかかるとのこと。保証内なのでおそらく大丈夫だとは言われたけれど、もし有償修理の場合には16,000円ぐらいかかってしまうらしい。

万年筆は会社で使うことが多い。特にノートの上で思考整理をするときには欠かせない道具になった。万年筆の、ある程度ゆっくり書かないと線がカスレてしまうというその特性柄、ボールペンよりも丁寧に書くことを強制される。そのせいだけじゃないとは思うけど、万年筆で思考整理をすると、やたらと捗るように感じる。万年筆デビューからまだ半年ちょっとだけど、もはや万年筆無しの生活には戻れない。

さて、修理には出したものの、修理までの一ヶ月半もとても待てない。その代替というわけじゃないけど、あちこちで評判の良い、パイロットのカスタム743(M字)を買ってしまった。税込みで31,500円だった。

オプティマに比べて少し細くて軽ように思える。これはこれで書きやすいので、他のものとあまり比較するようなものじゃないんだろうけど、いまいち物足りないかも。

ふと「人はこうやって色々な万年筆に手を出して、ハマっていくんだろうな」と思った。コレクションの趣味はないので、道具は使ってあげてはじめて意味がある。これ以上買わないように注意しないといけない。


高圧洗浄がやってきた

前々から連絡はされていたけど、マンションの高圧洗浄の人達がやってきた。めちゃめちゃ寒い中、各部屋を回らなくていけないので大変そうだ。作業そのものはこっち側でやらないといけないことは何も無く、せいぜい水回りを片づけておくことぐらい。10分位であっという間に終わった。

しかし、高圧洗浄は一件ずつ別々の日にできるようなものではなく、一階から順番にいっせいにやっていかないといけないので、スケジュール調整が大変そう。実際、実施の一ヶ月前ぐらいから数回に渡って階ごとのスケジュールがボスティングされ、その後に当日に在宅出来るかどうか確認の電話が来た。

仕事でも、複数事業部で足並みを揃えないと実施できないような施策を推進することが多いので、利害や事情の異なる者同士のスケジュール調整がいかに大変なことか身にしみる。

そんなわけであっという間に終わってしまったけど、水回りに特に不都合を感じてたわけじゃないので、洗浄が終わってもふーん、という感想だけだったのが残念。


喫煙所とコミュニケーション

最近、身の回りの人達の間で、煙草を吸っている人が少なくなってきたように感じる。煙草の増税に伴ってその値段が上がったことや、健康のために禁煙ということもあるようだけど、止めるきっかけとなった理由で一番多いのは、吸う場所がどんどん無くなってきたかららしい。

自分の会社のビルでも、最初の頃は入り口の横あたりの、きちんと屋根のあるところに喫煙場所があった。ただ、ウロウロしながら煙草を吸う人が居たり、煙が流れてくるという苦情が寄せられたことから、ビルの横に喫煙場所が移された。吹きっさらしで屋根もないので、雨の日には傘を差しながら寒さに震えながら煙草を吸う姿をよく見かける。

辛い思いをしながら煙草を吸っていると、知らない人同士でも一種の連帯感のようなものが芽生えるらしい。自分はまったく煙草を吸わないので、そこで生まれるコミュニケーションやその仲間意識のような物をうらやましく思う。

どうにかして非喫煙者にとっても同じような場所が作れないものか、考えたことがある。食堂がわりと近い位置づけではあるけど、飲み物や食べ物を買ったらすぐに出て行ってしまうため、あまりそこで立ち止まったりする人が少ない。残念だけど、喫煙所ほどは意外な出会いによるコミュニケーションが起きる確率が少ない。そこに人が居ないんだから当たり前ではあるけど。

以前どこかで、確かあれはコクヨのイノベーションオフィスだったか。面白い施策をやっているという記事を読んだことがある。出社して入り口のタイムカードにもなっているモニターにタッチをすると、その日に自分が座る席の位置が表示されるそうだ。つまり座席が毎日ランダムで決まる。厳密には完全にランダムで座席を決めているわけじゃなく、ある程度は関係のある人同士が同じ島になるようなアルゴリズムになっているらしい。

各座席は数人ぐらいの島になっており、まずは自己紹介などからはじめることで、意外なシナジーが生まれているとのこと。仕事が忙しくなってくると、どうしても同じようなメンツとツルむことが多くなってしまうため、そういう仕組みがあると人材交流が進んでいいな、と思った記憶がある。

そのための仕組みが必要になるし、いざやるとなるとプロセスの設計からきちんとやらないといけないけど、自分の会社でもやれたらいいなーと思う。うらやましい。


エスカレーターを歩く

エスカレーターは歩くべきではないという意見もあるけど、今まで歩かなかったことはほとんどない。もちろん誰かと一緒に居たり、重い荷物を持っていて歩けなかったときは別だけど。 何もせずにじっと待って居ることが苦痛で、ちょっとの間だけでも、我慢して乗っているということが出来ない。

エスカレーターを歩く問題点の一つとして、片側を開けておくことにより輸送量が下がってしまうということを聞いたことがある。なるほど確かに、全員立ち止まっている状態だと反対側は空のままなので、その輸送力は50%になる。しかし歩く人がいれば、単位時間当たりの輸送力は上がる。実際の所はどうなのか注意して見て見ると、ほとんどの場合、歩き続ける人でほぼ埋まってる。つまり輸送力という観点だと、むしろ上がっている。

また、対象はほぼ女性に限定されるけど、騒音の問題もあると思う。エスカレーターや階段に限らず、あれはヒールのせいなんだろうか? カンカン・カンカンと、まるでカスタネットのように鳴らしながら歩いている女性が多い。

これは足を投げ出しながら歩いているからで、まるで子供がピコピコ音が鳴る靴を履いて、喜んで歩いているのと同じに思えてしまう。

周りを見渡してみると、筋肉の運動という観点で、まるで正しくない歩き方をしている人が多い。他人事のように書いてるけど、自分も昔はそうだった。何年か前にピラティスに通うようになって正しい歩き方というものを理解して初めて直った。

ピラティスでは一回一時間ぐらいの個人レッスンに通っていた。体の使い方に関する物なのに、団体レッスンにする人の考えが理解できない。

それまでインナーマッスルの使い方を全く理解していなかったので、ピラティスの効果は凄かった。レッスンを受けた初日に、いきなり歩き方が変わった。それまでは、やたらふくらはぎを使って、まるでペンギンのように頭が上下にヒョコヒョコ動くような歩き方をしていた。

それが、説明は難しいけど、踵の方に重心を置いて足の裏全体を使っているような、インナーマッスルをきちんと使った歩き方に変わった。

一度正しい歩き方を覚えると、いくら歩いても疲れなくなった。ただ一つ副作用(?)もあって、それまでと運動量も食事や間食の量もまるで変わっていないのに、ちょっとずつ太ってきてしまった。それまで、いったいどれだけ不必要な筋肉を使ってきたんだか。


通勤用のカバンを買った

いい加減ボロボロになってきたので、通勤用の鞄を買い換えた。今までのカバンは肩紐の付け根は折れて取れてしまっていたし、袖ポケットはボタンと下地が剥がれてしまい、あまりにも見苦しい状態で使っていた。

最初は、これまで10年以上 KANZAN の通勤用カバンを使ってきたので、今回も KANZAN を買おうと思っていた。以前買ったときの店は既につぶれてしまっているので、改めていまどこに行けば買えるのかを調べてみたらサイト上に載ってない。それどころか
「扱っている店舗を知るには問い合わせてください」
とあった。いやいやいや、わざわざ問い合わせなんてしないでしょう。

実物を見て決めたかったのに、扱っている店舗がさっぱりわからない。もしかすると「いいものを作り続ければ勝手に売れていく」と思ってるのかもしれない。あるいは今の販売量で満足している? 結局どこで買えるのかわからないので、買うことは諦めた。就職してからほとんどずっと、KANZAN ブランドのカバンを買い換えて使ってきたけど仕方がない。残念だ。

結局、東急ハンズのカバン売り場に行って、求めるものに一番近いカバンを買ってきた。カバン選びの時には、いくつか外せない条件がある。

  • 荷物はあんまり入れないので、軽いこと
  • 肩紐がついていて、肩にかけることができる事。ただしリュックは却下
  • チャック付きの口が前と真ん中の最低二つ。前には鍵とか携帯とかを入れるので、マグネット式ではなくチャックなのは必須
  • 後ろのポケットには本やiPad mini を入れるので、チャック無しで出し入れできる事(つまりマグネット式)
  • 中身が入ってなくても自立すること
  • 値段は三万以下

これらを全部満たしているカバンは一つしか無かった。株式会社ノーベルの GEENI というブランドの 38012 というもので、価格は12,600円となかなかリーズナブルな価格だった。

あまり身の回りのものに気を使わないけど、
「そろそろ年相応のきちんとしたものにしないといけない」
と思ったので、茶色の少し落ち着いたやつを選択した。

別に特に機能が増えているわけじゃないので、使い勝手は今までとそう変わらないはず。いや、今までは肩紐が取れて使えなくなってたので、そこは機能が増えるというか元に戻ったといえるかもしれない。何だか明日が楽しみだ。


とりあえず一ヶ月間、毎日ブログを書いてみた

文章能力をつけるためにはひたすら書き続ける、つまり質は量からしか生まれないと言う人が多い。

これまでずっと、思考を文章にすることがあまり得意ではないという悩みを持っていたので、まずは一ヶ月間毎日書き続けてみた。書く内容やその質は問わず、とにかく何らかの文章を書くということだけを目標にし、今日がちょうど一ヶ月目になる。

仕事でも結構頭を使い続けるため平日は頭がヘトヘトな状態が多く、正直ネタがあってもそれを文章にするのは結構たいへんだった。それでも書き続けてみた結果、どうでもよかったり、すごく思考が浅い内容の記事が量産されてしまった。

ただその一方で、ネタを何とか一つにまとめて「文章として完成させる」というスキルは上がったように思える。「考えを文書にする」という行為に慣れて特別なものじゃなくなってくるにつれ、別に何かを世の中に問いたいわけではないにせよ、自分の思考を文章の形でアウトプットするという楽しみが、少しずつわかってきた。

また副次的な効果として、雑談力も上がったように思う。自分の専門分野を除き、何かを人に説明することについて苦手意識を持っていたけど、ふと気づくと適当な内容のネタでも、あまり苦になく話せるようになっていた。

今後はどうするべきだろうか。年内いっぱいぐらいまでは駄文でもかまわないので、これまで通り「毎日書き続ける」ということをいったん目的とし続けるというのもある。あるいは毎日完成させることは目的とせず、何らかのテーマについての文章を毎日追加・編集していく、つまり質を目的とした方向に足を伸ばしていく、というのもあり得る。あるいはそのハイブリットか?

なかなか悩ましいところだ。


アナログTV

アナログ放送が終わってもう一年近く経つけど、自宅はまだブラウン管のTVを使っている。もちろんアナログ放送しか映らない。住んでいるマンションではケーブルTVが入っているので、勝手にデジアナ変換をしてくれる。そのおかげでいまだにアナログTVを使い続けることができる。

アナログ停波に関するメッセージが、わりと最近まで画面の下部をスクロールしていて鬱陶しかったけど、気づいたらいつの間にか消えて表示されなくなっていた。

子供が小さいうちは、昔ながらの分厚いアナログTVの方がいい、と思う。液晶画面は手で押すと色が変わるので、いいオモチャになってしまうけど、ブラウン管なら別に問題ない。バンバン叩かれてもまったく怖くない。

ウチではほとんどTVを視ない。視る場合も、リアルタイムで見ることはほとんどない。ある程度面白い事がわかっている番組を録画して、1.3倍速で見ることがほとんど。自分がせっかちというのもあるけど、視ている時間がもったいなく感じてしょうがない。

ただ時々無性に、全録レコーダが欲しくなる。昨日話題になったテレ東の選挙番組のように評判になった番組をあとから見る事ができる、という理由ももちろんあるけど、「全部撮れる」ということに何だかロマンを感じてしまう。

全録レコーダはずっと録画し続けるので電気代が高くなりそうだと思ったけど、調べてみたら最近のモデルだとせいぜい月間500円ぐらいしかかからないみたい。まあたとえ買ったとしても、視る時間がないので撮るだけで満足しちゃいそう。だから、なかなか買うところまでは踏み切れない。結局、デジアナ変換が終了するまでは、このままアナログTVを使い続けるんだろうな。


利き手

幼児ぐらいの頃は左利きだったらしいけど、それだと
「大人になってから色々不便だろう」
と思ったらしく、右手を使うように躾られた。親はすべてのことに対して右手を使うように矯正したかったみたいだけど、結果、利き手が中途半端になってしまった。

文字を書いたり刃物を使う時は右手しか使えない。電話を持ったり、急須からお茶をいれる、コップを持って飲むといった動作は左手でしかできない。ボールを投げたり、スプーンやおたまのようなものはどちらの手でも同じぐらいできる。

今まであんまり深く考えたことがないけど、文字や刃物などのように正確に力を加えないと成り立たないような動作は右手でしか使えないようだ。刃物は右手用のものがほとんどなので、これは親に感謝しないと。一方、何かを注いだりするような、位置決めが必要な動作は左手でしかできない。このあたりを深掘りしていくと人間の脳の構造が見えてくるような感じがして、何だか不思議に思える。

一応は両利きと言われる範疇にあるので、人には
「両利き、いいなー」
と言われることもあるけど、全然そう感じることが無い。

日々の生活で行う動作のほとんどが右手でしかできないこと、左手でしかできないこと、と別れてしまっているので、せいぜい怪我の時や片手がふさがっている時に、反対の手を多少使える程度でしか無い。

むしろ一方の手でしかできないことがあるので、危険率は高いかもしれない。片手利きなら例えば片手を怪我したとしても、それが日常の動作に支障が出る(つまり利き手を怪我する)確率は50%だけど、両利きだとある意味100%とも言える。

美大のような芸術系の人間が集まるような場所だと、両方の手にペンや鉛筆を持って同時に使える真の両利きが多いらしい。そこまでいってて始めて、両利きが便利と言えるんじゃないかな。個人的には残念だけど、何のメリットも感じない。