カテゴリー別アーカイブ: 思考整理

架空の住所氏名って簡単に作れちゃうんじゃないの?

転居届を出すことで申請から一年間、旧住所宛ての郵便物を新住所に転送してくれるという郵便局のサービスはわりと有名だと思いますが、一年経過前にもう一度出すことで、そこからまた一年間延長出来ると言うことはあまり知られていないかもしれません。実は申請回数の制限はなく、期限前に転居届を再度出すということを繰り返すことで、転送期間を延長し続けることが出来ます。

前の住所とその前の住所から、いまの住所宛ての転居届を出す手続きをしていたときに、ふと、この仕組みを応用(悪用?)する事で、架空の住所氏名を作れるかもしれないと言うことに気づきました。

具体的な方法

転居届には在住あるいは転居した人の氏名を書く欄があります。婚姻、血姻関係にあるかどうかは関係なく、同居している人の氏名を書きます。

記載した人のうち転居した人間(つまり転送対象者)を個別に指定する方法と、記載した同居人全員を転送対象にするという方法を選択できますが、ここには何の確認もありません。つまり、同居人に架空の人の氏名を記載することにより、新たな人間を増やすことが出来ます。

例えば東京都千代田区から東京都中央区に引っ越したとします。実在するかどうかに関わらず、転居届に山田花子という同居人を加えることで、東京都千代田区の山田花子という住所氏名を作ることが出来てしまいます。

作って何に使うの?

具体的な用途を書くのはアレですが、例えば匿名で郵便物を受け取りたいとか、本人申し込みがNGなものに申し込むとか、色々ありますね。その氏名を捨てたければ再度転居届を出して更新できますし、一年間過ぎてほっとけば住所氏名ごと処分出来ます。何だか犯罪用途の方が使い勝手良さそうな感じがしますが、あまり深堀はしないようにします。

。。。とここまで書いていて、転居届って、申請した人が本人や同居人かどうかすら、まったく確認していないと言うことに気づきました。過去何度も転居届を出してきましたが、転居届の申請に関して、何らかの確認や通知をされたことがありません。

つまり、まったくの第三者の住所で架空の氏名で転居届を出すとか、いやそもそも第三者住所で全員転居という届けを出したら、勝手に他人の郵便物を盗むことが出来ちゃうような気がします。これって大丈夫何でしょうか?


電子書籍は下手に自炊するよりKindle版を買い直すのが最適解かも

My Kindleにたまたまアクセスしてみると、いつの間にかKindleで購入した本が500冊を超えていました。読むのはほとんどiPadですが、活字をKindleで読んでいると疲れるので、気づくと読むのはほとんどが漫画本になっています。Kindleで漫画を買うのを躊躇していた頃が懐かしいです。今では、少なくとも漫画に関してはもう紙では買わないようにしています。

これだけ読んでいると、さすがにiPadで漫画を読むのにも慣れてきたので、今更ながらそろそろ紙の漫画も電子化したいなと思うようになりました。小さめの本棚にある200冊の漫画本が電子化されると部屋のスペース的にもそこそこのインパクトがあるので、これを電子化するには? という視点で考えて見たいと思います。選択肢は3つでしょうか。

  • ScanSnapを買って自分で電子化
  • 自炊代行業者に依頼
  • Kindle版を買い直す

自炊の場合

まずは自分でやる場合。ScanSnapはおよそ35,000円ぐらいで買えそうです。ただ裁断機まで含むと合計5万円ぐらい。これの利点は言うまでもなく、かかるコストは初期費用のみ。あとは自分の時間をかければ、今ある本も今後買う本も電子化することができます。かかる時間は一冊15分ぐらいだとすると、200冊で3000分。つまり50時間。一日1冊やったとしても、200日かかります。

費用:5万円
時間:50時間
完了までの日数:半年以上?

業者に頼む場合

自炊には興味がなかったので自炊代行業者はほとんど知りませんが、ちょっと調べた限りBookScanという業者が良さそうです。一冊100円、色々なオプションが付いたプレミアム会員だと月に50冊まで無料で月額およそ1万円。自分がかかる手間は郵送するだけなので、まあ合計1時間位でしょうか。ただ通常会員だと2〜3ヶ月待ち、プレミアム会員だと一週間という納期のようです。

費用:2万円もしくは4万円
時間:1時間
完了までの日数:3ヶ月もしくは4ヶ月

Kindle版を買い直す

すでに持っている本を買い直すなんて無駄だと思っていたため、実は、この文章を書くまでちゃんと考えたことのない選択肢です。一冊300円〜500円ぐらいでしょうか。仮に400円だとすると200冊で8万円。ただしストレージやコンテンツの調整などを一切考えなくていいという利点があります。

費用:8万円
時間:0?
完了までの日数:0

で、結論は?

費用的に一番安いのは自炊代行業者に頼むことですが、ストレージのコストと、いざ読みたいと思った時の手間が入っていません。いま持っている本のうち、あんまり読まなそうなものを処分してしまい、もしまた読みたくなったらその時にKindleで買い直す。実はこれが最強のように思えてきました。持っていれば確かにたまには読み返したくなる時もありますが、いざコストなどを計算してみると、ずーっと場所を取って持ってるものでもないような気がしてきました。

今のまま紙の本を持ち続けていればコストはかかりませんが、場所は取り続けます。部屋をスッキリ綺麗にしたことによる爽快感。それを味わうためにお金をかけるのも悪くない。少なくとも、もうほとんど読まない本をピックアップして処分してもいいかな、そう思わせる計算結果でした。


「伝える」についての勘違いと日本ユニセフ問題について

文章の書き方、特に文法や言葉の使い方などではなく、「書くという行為」に関する考えや心構えについて書かれた本においては必ずと言っていいほど、「何を伝えるのか」ということを明確にする必要がある、ということが書かれています。

今まで勘違いしていたということに急に気づいたんですが、あくまでも「何を」伝えるかを明確にしろと言ってるのであって、書こうと思った事柄に関して解決策や提言、誰も知らないようなことを書かないといけないというわけではない。もちろん書けるに越したことは無いですが、その事柄に関して「あなたはどう考えるか」それを書くことこそが重要かつ唯一の目的なんですよね。

なぜ今までそう思っていたのかわかりませんが、その結果として「書くこと」に関して、自分で勝手にハードルを上げていました。何か気になったことについて、自分の視点、その時の能力で考えたことを書けばそれでいい。

最近話題の日本ユニセフについて考えてみた

日本ユニセフ経由だと募金総額の25%(でしたっけ?)をピンハネされてしまうけど、黒柳徹子のユニセフに直接募金をすると100%募金に回る。日本ユニセフは偽善的な組織で、募金によって私腹を肥やしている。ここ数日、そんな話が話題になっています。

「アグネス憎し。私腹を肥やす日本ユニセフはけしからん」というものと、「人が動くとコストがかかる。黒柳徹子は確かに100%募金ではあるけど、資産のある黒柳徹子だから出来る。募金総額はピンハネしていると言われている日本ユニセフの方が多いじゃない」そういった意見を読みました。

私自身の意見は後者、ただし募金総額から抜く金額が常に一律なのは乱暴じゃないか、と考えています。

物事にかかる費用には、家賃などのようにそこに住む・利用する人間が何人であっても固定の金額である「固定費」と、給与や交通費のように人が増えるとその分だけ増える「変動費」の二種類があります。人1人あたりにかかる費用を計算する際は、固定費を人数で割る(按分する)ことで計算します。当然、実際の人数が増えれば増えるほど一人当たりの固定費は薄まっていきます。

日本ユニセフの募金額からコスト分として抜く割合は、ある人数までは妥当なんでしょう。ただ、ある閾値を超えた時点で貰いすぎになってしまいます。港区にかなりのコストをかけて事務所を作ったという話もあるようですが、固定費比率が薄まりすぎてしまうため、抜く割合の妥当性をキープする。これが事務所などに大きなコストをかけている理由なんじゃないでしょうか。抜く割合を一定額にするのではなく、ある金額を超えたらその割合を階段状に下げて行く。そのような方法にすることで、このような固定費を上げて続けていような行動を抑制できるのではないでしょうか。

ユニセフと日本ユニセフの関係について自分は何も知らないし、どうあるべきだという意見を持っているわけではないので、何も言えないなー。そう思っていましたが、解を持っていなくても、そのテーマについて自分の視点・考えを伝えるだけでもいいんだ。そう考えると、とたんに文章を書く敷居が下がったように感じます。しかも、書くまでは考えてもいなかった自分なりの意見を見付け出すことができました。


たとえ10円でも、会社の経費は精算すべきではないか?

例えば交通費の精算であったり、文房具などのちょっとした消耗品だったり。それが少額だと手間の方が大きくて面倒なので、経費の精算をしないという選択肢を取る人が比較的多いように感じる。ただ、たとえそれが10円であったとしても、会社の経費は精算すべきだと思う。

(実際には現金で回収することはあんまり無いとは思うけど)、「売上」を現金で受領してきたというシーンを思い浮かべてみる。それがたとえどんなに少ない金額であっても、そのお金を自分のものにすることは許されない。なぜならそれは会社のお金だからだ。

その逆、つまり費用の場合にはそれを責められることは少ない。いやおそらく無い。会社にとって損はないからだ。ただ「費用」も「売上」も、それが会社にとって+なのか-なのかの違いはあるけど、会社のお金には変わりない。だとすると、かかった費用を精算しないという行為は、負の金額の会社のお金を横領していることと同じと言ってもいいのかもしれない。

よっぽどどんぶり勘定している会社を除いて、普通の会社は管理会計などを通じて、業務などの流れや状態をウォッチしている。しかし費用の正しい把握ができなくなると、これが狂いかねない。

「あまりに少ない金額だと、みみっちいと思われそうで何だか気兼ねをする」という気になることもあるかもしれない。でもそれは、(負の金額という)会社のお金を横領しないという、ごく当たり前で正しいことをやっていることにすぎない。金額の大小ではない。手間を惜しまず堂々と、精算をすべきだと思う。


やまもといちろう氏はアブラハム社に訴えられそうなのに、なぜ平気そうなのか

「いつかは ゆかし」に対する一部ブロガーによる悪質なデマに対して、被害届の提出を検討 および 一部ブロガー、広告記述内容に対する説明を代理人に対して求めるメールを送達 を読んで、やまもといちろう氏はアブラハム・プライベートバンク社に訴えられるかもしれないのに、なぜ平気そうなのかを考えてみる。

民事訴訟になった場合の最悪のケースは、訴訟を起こされて、かつ敗訴することだと思う。ただ、民事訴訟だと判決が出るまでは一年近くかかるし、上告したら(されたら)もっとかかることになる。訴える側にとっても手間も時間がかかるので、仮に「満足いく」結果になったとしても手遅れ感は否めない。最悪、賠償金を支払うだけで終わってしまう(実際は支払えと言われるだけ)。氏は裁判慣れをしているため、より現実感を持って、このあたりの駆け引き感を理解しているんだろう。

プレスリリースでは、名誉毀損などを理由に被害届や刑事告訴の準備をしているという。「届けを出した」ではなく、「準備」という所に違和感を感じる。詳しく知っているわけではないけど、刑事告訴は民事とは違って身柄を拘束される危険性もあり、よりプレッシャーを与える効果があるので、刑事告訴を匂わしているんだろうと思う。ただ、本当にまったくの誹謗中傷であれば、準備ではなくさっさと届けを出すんじゃないだろうか。

既に、削除や謝罪を求める内容証明は送ったようだけど、実際に訴訟を起こすことは無さそうに思える。

本当の「事実」は、外からはあずかり知ることは出来ない。ただ、勝手な想像や妄想ではなく、裏取りした「事実」(のようなこと)を書いているように見える。「事実」を元に自身で解釈したこと、それが結果としてアブラハム社に取って好ましくない内容であった。これはちょっと誹謗中傷や名誉毀損の線で訴えるのは難しいんじゃないだろうか。

氏はヤバ系のネタを扱うことを売りの一つとしている(と思われる)ため、簡単には引っ込められないというポジション的な意味もあるだろうけど、要するに「ビビる理由が無いからビビらない」と考えるのが自然なんだろう。頭では理解できるけど、自分だとそんな胆力は無いなあ。

ご祝儀がわりに(?)、氏のメルマガの申し込みをしてしまった。


縮約:0から1を作った経験

0から1を作った経験 が非常に腹落ちした内容だったので、よりいっそう理解を深めるために縮約をしてみる。

100年続くチームを引き継ぎ、1年間チームを率いた人はすごいけれど、その人が相手チームを眺めた時に得られるものは、それほど多くない。

同じようなチームのリーダーであっても、サークルをゼロから立ち上げ、手探りの活動を通じてどうにか大会に参加することができたキャプテンは、対戦したあらゆるチームから運営に関する気付きを得て、それを自分の経験として役立てることができる。

車輪の再発明は無意味のたとえによく引かれるけれど、再発明してみることで、誰かの車輪を眺めるだけで、そこに込められた工夫や改良を学ぶことができるようになる。

参考書から何かを学んだら、今度は参考書を自分で作ってみると理解が深まる。どうしてこのたとえ話は分かりやすいのか。どうしてこの章にはこれだけの分量が必要なのか。自分で誰かを教えたり、参考書やマニュアル本を作ってみることで、次から誰かの参考書を読むときに、異なった視点で教科書を読むことができるようになる。

お手本をなぞった人たちにとっては、改良とは「より厳密」を追求することになる。目的を定めず全方向的にベストを尽くした結果として、役に立たない「より厳密な車輪」の再発明になってしまったプロダクトは、世の中にはけっこう多い。

あれ? まとめてみると、思った以上に同じ内容が重複していた。

要するに、「0から1を生み出す経験をした人は新たな視点を手に入れることができる。それが成功しようが失敗しようが、その経験を通じて見聞きしたことにより、次に同じようなものを見た時に、なぜそうしたのか、そこに込められた意図や工夫を読み取ることができるようになる」ということを言っているんだろう。

なぜそうするのか。例え既に誰かが通った道であっても、自分で考えて試行錯誤して前に進むことにより、それの本質を理解できるようになる。


AmazonのAWS紹介セミナーに行ってきた

これまではオンプレ環境だけでVMWareを使って構成してきたけど、いい加減運用も手間になってきたので、そろそろAWSの全面導入を検討している。AWSは何年か前にEC2とS3を使ったきり。それからいくつもサービスが出ていて、結局今はどうなっているのかよく分からなくなったけど、ちょうど目黒のAmazonのセミナールームでAWSを網羅的に説明するセミナーがあったので、行って話を聞いてきた。

セミナーの時間は90分ぐらい。事前にAWSのサイトの説明を読んでいたため、正直あんまり目新しい内容は無かった。ただ、サービスの紹介を聞きながら、何をどういう構成で使おうかを考えるきっかけにはなったので、まったく収穫なしという訳ではなかった。今さら当たり前になってきたけど、あらためてディスクの容量や台数などを気にしなくてもいい世界というのは、インフラ構成にイノベーションを起こすなと感じさせられる。

Webビジネスはやって見ないとよく分からない。当然、どれぐらいのユーザがどれぐらいのタイミングでやってくるのかを事前に予測することは難しいし、難しいしということが受容されている。でもインフラ構成はなぜかそれが許されない環境におかれることが多い。どれぐらい来るかの予想ができないのに、対応することを求められる。

AWSを活用することにより、ビジネスと同じようにやってみないとわからないという環境、例えば急に増設が必要になったら、すぐにしかも自動的に増やすというような対応が可能になる。ようやくフェアな構図が作れる予感がビンビンするので、早く使って見たいと思わされた。


精神障害とノマドワーカー

先日どこかのサイトで、健常者と義足の人が陸上競技をやった場合、義足の人の方が健常者よりも圧倒的に速かったという記事を読んだ。義足の軽さと反発力により、もはや反則に近い速度が出るそうだ。

「障害」は英語で言うと disability と言う。つまり、行動などの「ability」を制限されている状態を指している。にもかかわらず、「義足だと圧倒的に有利」というのは何だか皮肉な印象を受ける。肉体的なことだけではなく、精神障害にも同じことが言えるんだろうか。ふと気になった。

朝のホームに出没する自由人

ほとんど毎朝、駅のホームで大声を出しながら車掌の真似をする男性がいる。もし自分の近くに立たれてやられると、イラつくと思う。でも端から見ている分には害もないし、何だか楽しそう。赤ちゃんや子供と同じ。思った時に思った行動を取れるので、とても自由に見える。「自由人」という言葉を連想した。

一方で、ごく普通の通勤者はどんよりしていて、何だか辛気くさい。もちろんだからと言って、みんなが「自由人」の真似をすればいいという訳ではない。みんなが少しずつ気を使いながら社会が出来ている。みんなが好き勝手やりだすとむちゃくちゃになってしまう。「自由人」はある意味、みんなが作った社会にフリーライドして、美味しいところだけ食べているとも言える。

ノマドワーカー

ちょっと前から鼻につくようになった「ノマド」賛歌にも、同じような感じを受ける。

「毎朝ラッシュの電車に乗って出勤したり、会社で面倒くさい人間関係などに振り回されるのは嫌だ。フリーランスとして自由に生きていくんだ」

もちろんどういう生き方をしようと、個人の選択の自由だ。ただ、(明言しているかどうかはともかく)「ノマドという生き方を選択した自分は、普通の勤め人よりもすごい」というような意見には違和感を感じる。通勤の苦労に始まり、社会を回すための不合理だけど誰かがやらないといけないような仕事。面倒なことを誰かがやっているから、ノマド的な働き方も成り立っていると思う。

ただノマドを煽っている人は、ノマド的な働き方にメリットを感じてそれを広めようとしていると言うよりは、ノマド的働き方をする人が増えると、自身に何かメリットがあるんじゃないだろうか。そういう見方で賛歌している人を見ると、また違う物が見えてくる。


ブラック企業にも存在価値はあると思う

ブラック企業は、存在するだけで悪だ、そこから早急に脱出すべきだし社会からも消えるべきだ、と言われることが多いように感じる。ルールを守る企業を潰すことになったり、労働力の搾取というイメージがあり、確かに同意ではある。ただ一方で、その業界や「ブラック」の定義にもよるけど、必ずしもそうとは言えないケースもあるんじゃないかと思った。

例えばSI業界における2次、3次受けの下請けのブラック企業の場合。とても微妙なスキルの人であっても、頭数いくらで金額が付く。そのため、応募すれば誰でも入れるということも少なくない。もちろん敷居の低さと過酷さは、ある程度リンクするだろうけど、そもそもの能力が無い・不足している人であってもブラック企業は受け入れてくれる。つまり雇用の受け皿の一つとして、立派に機能しているという面もある。

労働力に対する報酬のダンピングというか、生活のために働くことになってしまう一方で、逆に言うと、働くことで最低限の生活は出来るようになる(可能性が高い)。

もちろん「ブラック」の度合いにもよるし限界はあるけど、ブラック企業が無くなってしまうと、そのような人達の受け皿がなくなってしまう。「素人は去れ」ということは簡単だけど、そういう人達はどこへ行けばいいのか。この世から消えてなくなってくれるならいいけど、そうもいかない。当然その一部は生活保護に流れるだろうから、結果として社会が成り立たなくなってしまうんじゃないか。

ホワイト企業になると?

仮に世の中の企業がすべて「ホワイト企業」になったらどうなるんだろうか。能力がなくても必要以上の給与がもらえるという企業はあまりにも現実離れしているので、能力が「正当に」評価される企業をホワイト企業と定義してみる。

ホワイト企業においては、自己責任がより求められるようになる。能力が微妙な人間はそもそも入社することが出来ないし、仮に入社できたとしてもその「アウトプット」が正当に、つまりその能力に応じてキチンと「低く」評価されることになる。フェアな企業や社会であることは重要ではあるし、それが資本主義なのかもしれない。ただそれだと能力がない人は、救いようがなくなってしまう。

ブラック企業でも得られることはある

似たような構図として、南北戦争の奴隷解放の時代の話を聞いたことがある。奴隷が解放されることそのものは間違いなく良いことだけど、一方で、奴隷は持ち主の管理責任の元、支配のみではなく管理もされてきた。奴隷から解放されることにより、それまで奴隷だった人達は望まない自己責任をおしつけられ、結果として工場などで使い捨ての労働力として酷使されるようになってしまったという。

以前、「10年間泥のように働く」ということを言ったSI企業の人が叩かれまくるということがあった。自分自身も、ブラックな企業で死ぬほど働いてきた。ただ、労働基準法て何? という状況でそれこそ泥のように働いた年月で身につけたスキルや経験は、確実に自身の血肉になってくれていると感じる。労働に対する対価を給与だけで判断すると、当時はとても大変だった上に圧倒的な搾取の元での労働ではあったけど、長い目でそこで得られたものを振り返ってみると、少なくともトントンではあったように思える。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」だからかもしれないけど。

重要なのは「ブラック企業を無くすこと」ではなく、そのブラック度を少し下げることじゃないかな、と思う。


大阪市天王寺区役所の報酬なしの何が悪いの?

大阪市天王寺区役所の デザインの力で、行政を変える!!~天王寺区広報デザイナーを募集します~ の募集要項で、報酬なしとなっていることが悪い意味で話題になっているようだ。曰く、プロの仕事をなめるなとか、役所は上から目線だ、などなど。

正直、叩いている人達は役所憎しで反応してしまって、冷静な判断が出来ていないんじゃないだろうか。少なくとも、売上を上げるために広宣費をかけるという類のビジネス経験は無いように感じる。ただ、デザイナやエンジニアのように、アウトプットとその対価が直接結びついているような仕事しか経験が無いのであれば、報酬なしということに対して過剰反応してしまうのもわからなくはない。

提供するアウトプット・労力というコストに対して、そのリターンが大きければ普通のビジネスの構造に過ぎない。「報酬なし」という仕事であっても、それによるリターンに価値を見いだせるかどうかで判断すればいいだけだ。

募集要項には、著作権を譲渡するという条件はなく、広報紙などに紹介するし、デザイナー名も隠さずに明記するとはっきり記載されている。つまり、そういう仕事をしたということを自身のポートフォリオに明記することができる。これのどこがプロの仕事を馬鹿にしているというのだろうか?

もちろん長時間の無償労働を行わないと実現不可能というぐらいのアウトプットを求められているのであれば、その限りではない。でもどうもそうでは無さそうだ。

リスティング広告への出稿での例

例えば「資料請求されると売上になる」スキームのサイトが、どこかのメディアに広告を出稿することで、サイトにユーザを集客する。集客したユーザが資料請求したら、サイトの売上になる。この場合、広告出稿料というコストは直接売上に結びつくわけではない。

こういう仕事を少しでもしたことがある場合、「報酬なし」に対する労力は、単なる広告宣伝費だということが理解できるはずだ。

報酬が異様に安くて、でも生活のためにはその条件でも飛びつかざるを得ないというのであればまた別だけど、これは報酬なしだ。

全く不合理だと思う。