カテゴリー別アーカイブ: 文章について

DM100を買った

来月までに使わないと期限が来てしまう優待券があったので、量販店の店頭で目に付いたポメラのDM100を半衝動的に買ってしまった。部屋にはスリープ状態のMacbookがあり、またiPadとBluetoothキーボードもある。だから積極的に欲しかったわけじゃない。まあ衝動買いだ。

で、だ。DM100を入手して実際に使ってみると、「ああ、ポメラって文章を書くための文房具だったよな」ということを、あらためて思い出させられた。iPadとBluetooth環境だってそう悪いものじゃないけど、これはもう全然別の道具だ。比較するものじゃない。ボールペンとマジックぐらい違う。

書きたいと思ったときは、フタを開けるだけ。アプリの切り替えも、Bluetoothの接続もいらない。不満点としては、ATOKの変換は正直いまいちだし、入力補完が無いので打ったばっかりの言葉も、もう一度入力しないといけない。でも、そんなのは些細な問題だ。打ちやすいキーボード、超寿命、そして何より文字入力以外に何もできない。ちょっとネットに浮気することもなければ、LINEやFacebookの通知もこない。書きたいときに開けて、書いて、閉じるだけ。非常にシンプル。

これって、万年筆を持ってノートの前に座った時の感覚に近い。ストレスを感じることは何もなく、ただ書きたいことを書けばいいだけ。

大昔にDM10という初期のポメラを使っていたことがあるけど、コンセプトはそのままで、ずいぶん進化したように感じる。

  • バックライトが付いてる
  • ディスプレイが大きい
  • 一部のキーがカスタマイズできる(「無変換」をBackspaceに、「前候補」をEnterにすると快適)
  • FlashAir経由で、書いた文章を直接Evernoteに送信できる

特に、FlashAir 連携が秀逸だ。

QRコード経由での文章吸い上げも試してみたけど、複数の文書をまとめて吸い上げるのがすごく面倒だった。昔のポメラもそうだったけど、いかにしてデータを吸い上げるのかというのがポメラの課題だった。これがFlashAir のおかげで一気に解消された。思いつくまま文章を書き、一日の最後にまとめてEvernoteに登録。

ポメラはしばらく見ない間に、文章を書く人には必携な文房具に進化していたんだなあ。きっかけは衝動買いだったけど、久々に買って良かった。


「伝える」についての勘違いと日本ユニセフ問題について

文章の書き方、特に文法や言葉の使い方などではなく、「書くという行為」に関する考えや心構えについて書かれた本においては必ずと言っていいほど、「何を伝えるのか」ということを明確にする必要がある、ということが書かれています。

今まで勘違いしていたということに急に気づいたんですが、あくまでも「何を」伝えるかを明確にしろと言ってるのであって、書こうと思った事柄に関して解決策や提言、誰も知らないようなことを書かないといけないというわけではない。もちろん書けるに越したことは無いですが、その事柄に関して「あなたはどう考えるか」それを書くことこそが重要かつ唯一の目的なんですよね。

なぜ今までそう思っていたのかわかりませんが、その結果として「書くこと」に関して、自分で勝手にハードルを上げていました。何か気になったことについて、自分の視点、その時の能力で考えたことを書けばそれでいい。

最近話題の日本ユニセフについて考えてみた

日本ユニセフ経由だと募金総額の25%(でしたっけ?)をピンハネされてしまうけど、黒柳徹子のユニセフに直接募金をすると100%募金に回る。日本ユニセフは偽善的な組織で、募金によって私腹を肥やしている。ここ数日、そんな話が話題になっています。

「アグネス憎し。私腹を肥やす日本ユニセフはけしからん」というものと、「人が動くとコストがかかる。黒柳徹子は確かに100%募金ではあるけど、資産のある黒柳徹子だから出来る。募金総額はピンハネしていると言われている日本ユニセフの方が多いじゃない」そういった意見を読みました。

私自身の意見は後者、ただし募金総額から抜く金額が常に一律なのは乱暴じゃないか、と考えています。

物事にかかる費用には、家賃などのようにそこに住む・利用する人間が何人であっても固定の金額である「固定費」と、給与や交通費のように人が増えるとその分だけ増える「変動費」の二種類があります。人1人あたりにかかる費用を計算する際は、固定費を人数で割る(按分する)ことで計算します。当然、実際の人数が増えれば増えるほど一人当たりの固定費は薄まっていきます。

日本ユニセフの募金額からコスト分として抜く割合は、ある人数までは妥当なんでしょう。ただ、ある閾値を超えた時点で貰いすぎになってしまいます。港区にかなりのコストをかけて事務所を作ったという話もあるようですが、固定費比率が薄まりすぎてしまうため、抜く割合の妥当性をキープする。これが事務所などに大きなコストをかけている理由なんじゃないでしょうか。抜く割合を一定額にするのではなく、ある金額を超えたらその割合を階段状に下げて行く。そのような方法にすることで、このような固定費を上げて続けていような行動を抑制できるのではないでしょうか。

ユニセフと日本ユニセフの関係について自分は何も知らないし、どうあるべきだという意見を持っているわけではないので、何も言えないなー。そう思っていましたが、解を持っていなくても、そのテーマについて自分の視点・考えを伝えるだけでもいいんだ。そう考えると、とたんに文章を書く敷居が下がったように感じます。しかも、書くまでは考えてもいなかった自分なりの意見を見付け出すことができました。


ツールとしての文章と、目的としての文章

文章術について悩み、色々な本や記事を読んできました。その結果、

  • 何か目的やメッセージがあり、文章はそれを実現するためのツール
  • 文章を書くことが目的そのもの

の二種類のケースがあり、文章術やブログ術の多くが前者を対象にしたものだということを理解しました。特にプロ志望の人を対象にしたものは、ほとんど全てです。

前者を目的とした文章の場合、言いたいことをあらかじめ明確にしてから書け、読む人の立場で書け、などなどのコツが書かれており、確かにそれ自体は納得できることばかりですし、書かれた文章も読者にとって「面白い」と感じる文章になるんだと思います。

ただ、その文章、書いている人自身は「楽しい」と感じられるんでしょうか?

アフィリエイトブログやあるいは何らかのブランディングなど、何か別の目的があって、文章はそれを実現するための単なるツールであれば、文章を書くことやその内容で楽しむ必要なんてありません。だからそれが目的だったら、読者のことだけを考えた文章でいいんだと思います。

ただそれだと、書くという作業の中で、自分でも気づいていなかったことを発見できた。モヤモヤしてよくわからなかったことが、文章を書くことでスッキリ整理された。書くこと自体を楽しむことはできません。

ちまたの文章術を読んで、その内容を理解や納得はできるけど、何だかしっくりこない。そのモヤモヤした感覚は、その目的が自分とは違っていたからだということに気づきました。世の中・他人に対して何か伝えたいことがある人はまた別なんでしょうが、自分のように特にそういうものが無い人間にとっては、

そもそも伝えたいことがない。だから、文章を書くことで他人に伝えたいことも無い。

わけです。「何かを伝えることを目的とした、ツールとしての文章」に関する記述がしっくりこないのも当たり前でした。

自分自身にとっての文章は、目的そのもの。書くことによって、色々なモヤモヤしていたものをスッキリさせたい。

確かに、読む人にとってはそれは「面白い」文章ではないかもしれませんが、他人の前に自分自身がまず「面白い」と感じる文章で無いと、書く目的がなくなってしまいます。まずは自分自身が楽しいと感じられることを第一に、文章を書いていきたいです。

 


自分の書いた文章を、面白く感じられるようになるための第一歩

文章力を付けたい。どうも定期的にそう感じるサイクルがやってくるようです。そういえばこのブログを書いてみようと思ったきっかけも、自分の考えを文章としてまとめるのが苦手だったのを何とかしたい、そう思ったのがはじまりだったような気がします。

最初はとにかく数をこなさないといけない。質はその後から付いてくる。そういう意見をあちこちで読みました。だから最初は、内容はどうでもいいので、毎日更新することだけを目標に書いてみました。これは数ヶ月ぐらい毎日継続できたのでクリア。

その次は、質を高めるということを意識して書くようにしました。でも、ブログが続いたのはそこまで。こんな内容じゃダメだ。そう思ってボツにする文章がドンドンと増えていき、そのうち挫折してしまいました。

ライティングマラソンにチャレンジ

文章力を高めたい!という意欲がまた高まってきた今。文章力を上げるために、参考になりそうな書籍やネット記事をまた読むようになりました。

色々な記事を読んでいた中で、自分の書く文章は価値がない」を抜け出すライティング・マラソンという方法←自己検閲を振り切って書きなぐるために という記事でライティングマラソンというテクニックを見つけました。

ライティングマラソンとは、1セット10分〜15分という制限時間を設け、その間は誤字や論理のおかしさなどを一切無視して、ひたすら思い浮かんだことを文字として吐き続ける。書けることがなくなってしまったら、書けることがなくなってしまったということを文字にして、とにかくひたすら書き続ける、という手法です。

これが、自分にはしっくり来ました。この感じを言語であらわすのは難しいんですが、「ついに手がかりを見つけたぞ」というのが近いでしょうか。

文章力をつけるには書き続けないといけない → でも自分の文章を面白いとまったく思えない → だから書けない。書きたくなくなる。

こういう負のサイクルが回ってしまっていた自分にとっては、とにかく何でもいいから制限時間いっぱい書き続けるという、ライティングマラソンのメソッドがピッタリはまったような感じがします。

「面白い文章」とは?

自分で自分の文章を面白いと感じることができない(当然、他人が読んだらもっと面白くなかったはず)。その理由は、「自分にとって面白いと感じる文章は何か? どういうものか?」ということが明確になっていなかったからでした。

自分が知らなかったことについて書いているもの。「知らない」を「知ってる」に変える文章。そういった知識欲を満たすような文章を「面白い文章」と考えていたのかもしれません。確かにそういう文章も「参考になる」ですし、それを「面白い」と感じる人も多いでしょう。でも少なくとも自分にとっては、それは「面白い」文章ではなかったんです。

いや、この表現は正しくないです。正確に言うと、他人の書いた「知らない」→「知ってる」に変えてくれる文章は面白い。でも自分が書く文章の場合は、自分は既に知っていることなので、それを書いても自分にとって「面白い」とは感じられない。これが自分の文章が自分で面白く感じられないモヤモヤの正体だったのではないかと。

ライティングマラソンのように、連想した事をひたすら文字にして書き続けるということをやると、それまで自分でも思っていなかった考えが飛び出してきたりして、意外な発見があります。また、その考えに至るまでの自分の思考のプロセスのようなものが全て残るため、どこをどう通ってそこに到達したのかが、よく分かります。

昔、会社の朝会で回ってくるスピーチが苦手で、まあ今でも苦手のままですが、それを何とかマシにしようと思い、とある話し方教室の一日集中講座というものに参加したことがあります。そこで指摘されたのが、

あなたのスピーチは話す事についての分析になってしまっている。
それについてあなたはどう思うのか?
話す相手はそれを知りたい。

ということを指摘されたことがあります。その時はあまりきちんと理解できていなかったんですが、今ならわかります。

自分・他人のどちらであっても、自分が「面白い」と感じる文章は、その文章で取り上げている事柄について、筆者がどう捉えて、どう考えているか。それが見えている文章を「面白い」と感じます。

ライティングマラソンという手法を知ったのは昨日なので、この手法を使って文章を書くのはまだ2回目です。でも、書いた文章を自分で読み返して見てもそんなに破綻した内容にはなっていません。また書かれた文章を見ても、「面白い」はまだまだ不十分ですが、少なくとも自分の文章が嫌じゃなくなっています。

これは大きな一歩です。

文章を書くのが好きではない。でも好きになりたい。

こういう感覚は、元々文章を書くのが得意だったり好きだったりする人にはわからない感覚かもしれません。でも自分もようやく、文章を書くという行為が好きになれそうな予感がします。