月別アーカイブ: 2012年4月

電車の中で音を出す

最近、電車の中で音を出すことを気にしない人が増えたような気がする。車内通話はそんなに多くないけど、携帯や電子辞書のクリック音、着信音、着メロ。

今日にいたっては普通に音を出しながらゲームをしている人まで居た。電車の音の方がうるさいからゲームの音ぐらいどうでもいい、という発想なんだろうけど、なぜか電子音は気に触る。

ちょっとイライラしながら車内を見渡すと、今まで気づかなかったけど、何の曲かわかるぐらい音漏れさせてる人や、ポテトチップスを食べてる人まで居た。

周りの人をいちいち気にしないようにするのが、一番ストレス無く過ごせるんだろうなと思うけど、ちょっと自分には無理。ただゲームをやっていた少年、自分が電車を降りる直前に周りの人に注意されて揉み合ってた。人が受けるストレスの総量って、結局は変わらないのかも。エネルギー保存の法則?


自由度を下げることで集中できる

子供に対して「部屋を片付けなさい」と言っても、言われた直後にちょろっとゴミを拾ったぐらいでなかなかうまくいかないのは、「片付ける」という言葉に含まれる意味や概念が多すぎるからではないかと思う。そもそも「片付いている」という状態を理解していないと何をしたらいいのかわからないし、片付けるためにどこから手をつけていけばいいのかわからないため、途中で諦めてしまう。

これを、「部屋の真ん中に箱を置いて、物をその中に入れるだけでいい」と伝えるようにすると、判断することは箱に入れるかどうかだけなのでやることが明確になり、途中で諦めてしまうということが減る。また不要なものが全て入れられた状態を見ることを通じて、「片付いている」という状態をおそらく理解出来るようになる。

GTDなどのタスク整理の技法も、同じようなことが言える気がする。ごちゃごちゃで全体の見通しが悪い状態から、「こういうことを実施すればいい」というのを見せてやることでタスク整理が実現できる。また一連のタスク整理を通じて、「整理されている」という状態を理解できるようになる。

将棋のアルゴリズムに、打ち切りというものがあるらしい。すべての打ち手を検討していると時間がいくらあっても次の打ち手を決定することができないから、検討の選択肢をある程度絞ってやることで、計算時間を現実的な範囲内に収めているそうだ。

全体が見えていない状態であまりにも自由度が高いと、打てる手が多すぎるために逆に不自由になってしまう。ある程度の制約事項を設けて打ち手を制限することで、はじめて限られた打ち手に集中することができるようになる。

定形フォームだと書く敷居が下がることや、雑多な情報をグループにまとめてラベルを付けてやると、情報の数は減っていないのにとたんに理解しやすくなるというのも、箱をおいてそこに物を入れてやるのと同じ事をやっているんではないかと思う。

※この文章は EverShaker により数年前のメモから拾いあげてきたネタです。何となくどっかで読んだような気がするので、もしかしたらどこかのブログを読んでそれをまとめた内容かもしれません。もしくは過去の自分が書いたものをもう一度読んでるからだけなのかも。


上の階の騒音が消えてなくなった

「ドンドン・ドンドン」

また今日も始まった。

しばらく空室になっていた上の階に、新しい人が引っ越してきた。最初は引越しの搬入の音だと思っていたら、それから毎日、走りまわるような足音がするようになった。それに気づくまでは別に平気だったけど、一度気にしだすと、ちょっとした物音でもいったい何だろう?と思うようになってしまった。

ちょっとイライラしながら、でも「気にしないように、気にしないように」と自己暗示をかけながら過ごすようになった。

それからしばらくたったある日、上の階の住人が引越しの挨拶にやってきた。若い夫婦と2歳ぐらいの女の子の3人家族。ドタドタと歩いていたのはこの子だったのか。

「今度、上の階に引っ越してきたxxxです。よろしくおねがいします」

「おねがいしゅいまーす」

舌っ足らずな言葉で、母親の言葉を繰り返す女の子。

「家の中を走りまわっちゃうので、足音がうるさいですよね。できるだけ気をつけますが、気になったらいつでも言ってください」

そう言って恐縮しながら帰っていった。

「ドタドタドタドタ、ドタドタドタドタ」

それからも上の階からの足音は相変わらずだけど、あの可愛い女の子が走っている様子が目に浮かび、つい顔がほころんでしまう。

ただ今度は、「あー元気に走ってるな」とか、「もう夜10時なのにそろそろ寝ないとダメだよ」と、ついついお節介を焼きたくなってしまった。