月別アーカイブ: 2012年5月

物を捨てる喜び

最近、何だか部屋が狭く感じるようになってきた。動線に何か物を置くとストレスの原因になるらしいので動線は確保していたけど、何だか狭っ苦しく感じていた。今週末はちょうどまとまった時間が取れそうなので、部屋の不用品を捨てまくりことにした。

「要らないものを捨てる」ではなく「必要なものだけとっておく」という視点で各部屋の物を見回してみると、いつか必要になるかもしれないと思って取ってあるものがやたら多いことに気づく。明らかに要らない物としては謎のキャップや蓋、ちょっと古くなった付箋やAVケーブル、いるかもしれないという発想で取ってあった古い加湿器、調子が悪くなって時々止まってる空気清浄機など。

また必要になったらその時のニーズにぴったりあったものを買えばいいと思い、ドンドンと不用品を捨てまくった。不用品を集めてみると、物凄い山に。とても一度では終わり切らないので、一旦途中で終了にせざるを得なくなってしまった。

不用品が減った部屋を改めて見てみると、別に今まで床や動線に物があったわけじゃなく、大きく見栄えが変わったわけではないのに、部屋が何だかとてもスッキリした感じになった。よく、部屋を広く見せるには視線の位置に物や視線を遮るものを置かないのがコツだと言われるけど、確かにその通り。たぶん物が目に入ることで、気が無意識の内に一瞬散ってしまうんだろう。意識にはのぼらないんだけど、それがボディーブローのように少しずつストレスを貯めていくのかもしれない。

まだまだ捨てるべき不用品はたくさんあるけど、現時点でもかなりスッキリ。まだまだ捨てていきたい。


早くも新しい万年筆(アウロラのオプティマ)を買ってしまった。

先日プレピーにハマって まだ一週間しか経ってないけど、早くも新しい万年筆を買ってしまった。買ったのはイタリアにある アウロラ社のオプティマ No.997-N(ペン先はM) というやつで、税込49,350円と中々のお値段だった。

本当はもうちょっと万年筆に慣れてから良いやつを買おうと思っていたけど、毎日書き続けるうちに「210円のプレピーですら書いていて気持ちいんだから、もっとちゃんとしたやつにすると、どれぐらい書きやすいんだろう」と思ってしまった。一度そう思ってしまうと、もう我慢が出来ない。結局、週末に買いに行くことにしてしまった。

カキモリへ

最初は蔵前にあるカキモリ に行ってみた。ネットで評判を見る限りネガティブなことを書いている人がまったく居なかったんで、すごく感じがいい店なんだろうと楽しみにしていた。結局10分ぐらいしか居なかったけど、その印象は確かにその通りだった。蔵前という土地柄なのか、何となく下町気質のようなものも感じられ、ついつい長居したくなる雰囲気。

ただ、サイトの写真の印象よりもずっと狭い店だった。色々な万年筆や、ペン先の太さを見たり試したりしながら買うものを見つけるという今回の趣旨とは合わなかったので、残念ながらここで買うのはやめた。この店がいまメインで押している オーダーメイドのノート を、ああでもないこうでもないと選ぶのはとても楽しそう。機会があったらぜひまた行ってみたい。

日本橋の丸善へ

次に行ったのは 日本橋の丸善 で、蔵前から都営浅草線で一本で行けた。ここは万年筆が趣味の人の中では有名な店(らしい)。最初に5万円位までという予算と、ペン先の太さの好み、万年筆はほとんど使ったこと無いということを伝えると、いくつかの万年筆を出してきてくれた。

ブログなどを見ていると、万年筆のヌラヌラの良さは太字じゃないとわからないとか、太いほうがインクフローがいいと書いているところが多く、何となくMかBの太いやつにしようかと思っていた。ただ色々見せてもらったり試し書きをしているうちに、どうやら自分の好みはFだと細すぎてMだとちょっと太いと感じるみたいなので、太めのFもしくは細めのMというものを中心に見せてもらうことにした。

胴軸は細いよりは太い方が、またあまり重過ぎないのが良さそう。型番は覚えていないけど、WATERMANの丸じゃなくて四角くくてずっしり重かったやつは、使いづらかったなぁ。結局、合計10本近く試し書きをさせてもらった。覚えている限りだと、WATERMAN, パイロットのカスタム743, パーカーの型番不明、スーベレーンのM800、そしてアウロラのオプティマ。

日本語を書くなら日本製、欧文を書くなら輸入モノがいいというようなことも言われているみたいだけど、仕事上、英語と日本語を3:7位の割合で書くので、alphabetとカナ・かな・漢字を試し書きした結果、アウロラが一番ピンと来た。

ただインクは純正のインクじゃなく、試し書きした時に一番好みの色だった ペリカンのロイヤルブルー にした。このインクは何だか不思議で、雑に書くと文字が細くなってしまって、かつ色もあっさりした感じになるのに、ゆっくりきちんと書くと文字も太く、発色もとても綺麗な青になる。インクの問題じゃなくて単に腕の問題な気もするけど。

万年筆にも慣らし運転が必要?

買ってからはもう文字を書きまくり・・・と言いたいけれど、実は最初は戸惑った。プレピーとは違い、きちんとした持ち方、きちんとした向きで書かないと文字がかすれるみたいで、最初は数文字に一回かすれるほど酷かった。何て使いづらいものを買ってしまったんだと、正直少し後悔していた。ただ書いていくうちに段々とコツを掴んできたみたい。次の日になったら、ほとんどかすれる事も無く普通に書けるようになった。

もしかして万年筆にも、インクが馴染むまで慣らし運転みたいなものが必要なのだろうかと思えるぐらい、全然違う書き心地。まだ一日程度しか使ってないけど、プレピーでちょっと不満だったカリカリする感じもなく、とても使いやすい。ちょっと高かったけど、いい買い物をしたと思う。

ただ今度は自分の字の汚さが段々と嫌になってきてしまった。次はペン習字とかに手を出してしまいそう。。。


万年筆を買った

まぁ万年筆といっても超入門モデルで プレピーのブルーブラック という、わずか210円のやつなんだけど。もうちょっと上の世代だと当たり前のように使っていたのかもしれないけど、自分で万年筆を使うのは初めて。

昔から筆圧が弱かった。学生の時にシャーペンを使ってた時は全然問題無かったけど、社会人になってからボールペンしか使わないようになると、書いた文字がかすれることが多くて困っていた。

そんな時に現れたゲルインクのボールペンは衝撃的だった。シャーペンで書く時のような筆圧でもちゃんと文字が書ける。持ってるボールペンを全てゲルインクのものに変えるほど気に入ったけど、ある程度筆圧をかけて書かないとペン先にダマが出来てしまって、書き始めが汚くなってしまうという問題があった。まぁ、かすれるよりはマシだし、書きやすさかダマになるかを選ぶとしたらダマの方だと思い、諦めてずっと使っていた。

そんなある日、普段良く読んでいる人のブログで、万年筆を初めて使ってみたらその書きやすさに驚いたという文章を読んだ。万年筆のあまりの書きやすさにより手書きにハマってしまい、ブログを書くよりも手書きばっかりになってしまったらしい。

そこで初めて、自分の筆記用具の選択肢としても万年筆があるということに気づいた。もちろん万年筆の存在自体は知っていたけれど、使ったこともないのに、あるいは使ったことがないからか、万年筆で文字を書くという発想がまったくなかった。

万年筆は腕時計と同じで、趣味性が高くやたら高価なものという印象がある。仕組み自体は毛細管現象を利用してペン先からインクを出すだけという単純な機構で、手作りの部分は少ない(と思う)。だから単に数が出ないから高くなってしまっているだけで、価格と機能にはあまり差がないんじゃないかと思っている。

万年筆の価格感などを調べてみると、何年か前に万年筆業界に革命(?)が起きたらしい。プラチナ万年筆社からサインペンなどと部品を共通化することでコストを徹底的に省いて税込210円、という驚きの価格を実現した万年筆が出ていた。Biz.IDの記事  によると、年間売上本数が21万本で、このプレピーは300万本の売上を目指しているとのこと。単純計算で6億円の売上になるので、これぐらい売上が上がれば十分薄利多売が成り立つのだろう。

実際の書き心地

近所の文房具屋にプレピーがあったので、青色のものを早速買ってきた。

実際使ってみると、これはいい。すごく書きやすい。こんなの初めて! 筆圧いらずでサラサラとサインペンのような書き心地。ダマも全然出ない。しばらく使ってみてからボールペンに戻ってみると、思っていた以上に筆圧が必要なのに気付かされる。何だか書きづらくて疲れてしまう。書かれた文字も何か味気なく感じる。

残念ながら良い所づくめではなく、欠点もある。ボールペンに比べてインクの乾きがちょっと遅いので、書いた直後に触ってしまうと簡単に滲んでしまう。またペン先の向きがシビアで、向きがおかしいとすぐに書き味が落ちたり、文字がかすれてしまうことがある。ただこれはきちんとした持ち方をして書いていれば大丈夫なのもわかった。万年筆には万年筆の持ち方や書き方があるようで、最初はちょっと戸惑う。ただ持ち方がおかしいと書きづらくなるというフィードバックが返ってくるので、すぐに万年筆の書き方に慣れてしまった。

万年筆という新しい道具を使っているせいなのかもしれないけど、久々に書く喜びを思い出した。ユビキタスキャプチャのように思いついたことを思いついたまま、いつまでも書いていたくなる。

たださすがに210円なんで、ペン本体がプラスチックでちょっとちゃっちい。もうちょっといい万年筆を買えば、好きな色のインクをセットして使うことも出来るらしいので、自分だけの道具としてカスタマイズしていく楽しみもある。買って一日も経ってないけど、早くもいい万年筆が欲しくなってしまった。

こりゃ、万年筆にハマってしまう人がいるのも納得しちゃうな。


現金強奪できるかな

駅の改札あたりで待ち合わせをしていた時のこと。

たぶんATMの現金輸送だと思うけど警備員が二人、現金が入っていると思しきコンテナを台車に乗っけて改札横の出口の所から出てきた。キオスクのおばちゃんと顔なじみなのか親しそうに挨拶しながら、人ごみの中を突っ切って運んでいった。

現金輸送というのはもっと辺りを気にしながら、殺伐とした感じで運んでいる印象があったので意外に思う。過去にハンドキャリーでジュラルミンのケースを運んでいるのを見た時にはもっと警戒していたような気がする。この時に見たのはキオスクの人と和やかに挨拶するぐらい気楽で、緊張感がまったく感じられなかった。

もし自分がその現金を強奪する立場になった場合、どういう方法を取れるだろうか?

まずはお札の重さ。中身がお札だとすると 重さは約1枚が1g とのことなので、仮に中身が5000万円位だったとしても約5kg。簡単に運べる。ただ問題はケースの方で、60cmぐらいの鉄だかジュラルミンだかのコンテナを2つ運んでいた。見た感じただの立方体の鉄の箱で、取っ手も何も無さそう。かなり重そうで、手で運んでいくのは難しそう。

 また人ごみの中を突っ切っていってるので、強奪したとしても目撃者が多数いるので、警備員を倒して持っていくのも厳しいと思う。

となるとたくさんの人数を集めて囲んで持っていくという方法があるかもしれない。ただ中身を山分けするのは論外とすると、一人のギャラが10万円だとして30人で300万円。コストが結構掛かる上に全員が信頼出来るとは限らないのでリスクが大きすぎる。

すぐ近くで何か騒ぎを起こして、そのあたりに居る人の注意を全部そっちに向けている間に何とかするという方法ならいけるかもしれないけど、全員の注意を向けられるような方法は難しいかもしれない。

と考えると、輸送車に現金を運び込むタイミングが良さそう。一番楽なのは車ごと強奪することだと思う。ただ輸送するところを見たことが無いのでわからないけど、ハイセキュリティ現金輸送車 の説明を見る限り、それはかなり難しそう。

となると唯一のチャンスは現金の積み下ろし。実際に強奪されているケースを見ても、国内外に関わらず積み下ろしの最中にやられていることが一番多いみたい。

結局セキュリティという観点で考えると、ハードウェアの世界もソフトウェアでの状況とそう大差ない。 ハードウェアの欠陥や、暗号化アルゴリズムやアプリケーション自体の欠陥を探して破るのは難しいし、それが問題となってセキュリティを破られたケースはそう多くない。だから巨大なケースや立派な現金輸送車といったハードウェアが、特定の機能の有無とかで選定される・されないが決まるということは少ないと思う。

重要なのは運用方法。結局は運用が駄目だとそこでセキュリティを破られてしまう。今後はスペック競争ではなく、運用の駄目なところをカバーしてくれるハードウェアなりソフトウェアなりが重要となってくるのではないだろうか。

ただ、運用をカバーしてくれる物って何らかの制約事項やオペレーションが増えるので、運用が面倒くさくなってしまう。その面倒くささを嫌って、現場ではその機能を無効にしていて問題が発生した時に初めて発覚した、なんて話は良く聞く。そのあたりのバランスを取るのはなかなか難しい。

 


時間の貧乏性

先日、近所の定食屋に昼食を食べに行った。昼からおっさんが中ジョッキを頼んじゃうような気安い定食屋。誰かが中ジョッキを頼んでいた。その日はカウンター近くの席に座っていたので、何とはなしに店員の動きを見ていた。

自分自身はまったくビールを飲まないんであまり良く知らないけど、全自動ビールサーバーという言うのだろうか。ジョッキをセットしたら自動的に傾けてビールや泡をいい感じに勝手に注いでくれるマシン。ジョッキをセットしてビールが注がれていく様を、店員が何もせずにつっ立って待っていた。

「それ全自動なんじゃないの? その待ってる時間無駄だから、その間に別の仕事をやったらどうかな。」

そういえば待ち時間に無頓着な人って、最近特に多くなってきた気がする。コンビニや本屋で物やお金を受け渡しする時に、自分あるいは相手がただ待っている時間を作ってしまっている。たぶん自分が客の立場になっても、そこにストレスを感じない人達なのかもしれない。

他に何もやることがないならともかく、例えば袋詰めしたり領収書を書いたり、何かやることがあるなら、相手からのI/O待ちの時には別のタスクをやってて欲しい。一人あたりの時間は実は短いかもしれないけど、一日分にまとめると多分、結構バカにならない時間になる。

人の非効率な行動を見ると、すごくもったいないと感じる。もし自分が店長なら、マニュアル化でも何でも進めてプロセスの効率化を図り、たった一人でもかまわないので店員の数を減らしにいくと思う。

客の立場としてはコストはどうでもいい。効率化によりすこしずつ貯めた時間をまとめて、その分休憩してもらってもかまわない。たぶん時間に限らず、無駄使いが我慢できないんだと思う。TVや映画などで水をジャージャー流しているシーンを見ると、

「あー、もったいない。早く止めてくれー」

と、内容に集中できなくなってしまう気持ちとたぶん同じ。

そういえばお金の使い方もあんまりうまくない。それが無駄遣いかどうかに関わらず、金を使うと何だか罪悪感を感じてしまう。消費がストレス解消だという人がいるけど、逆に羨ましいと思ってしまう。

まぁ、単なる貧乏性といってしまえばそうかもしれない。


舞台裏を見るのが好き

先日デパートの食品売り場で買い物している時に、レジのすぐ下で店員がペットボトルのお茶を飲んでいるのを見かけた。

こういう姿を客に見せてしまうのはプロ意識の無さや客商売の基本が出来ていないと見る人も居れば、そこまで徹底するのは日本特有の品質への過剰な欲求だと考える人も居る。自分の場合はその状況を見た瞬間、何だか嬉しく感じた。

なぜそう感じたんだろう?

「客」と「店員」という関係性の中に急に、疲れたといった表情や、喉が渇いたから飲み物を飲むという行動が入ってくると、その人の感情などが感じられるようになり、店員という役割から急に一人の人間に見えるようになる。

どういう時にどういうことを考えているのか、これこれこういう時にはこういう行動を取る。またその理由はこうだなど、自分自身が人の意思や考えにとても興味があるからかもしれない。

そういえば昔から作品そのものよりも、作品の裏話や、それが何を表しているのかという表現者の考え、あるいは何か行動を行った時にその理由などを知ることが好きだった。

その時に嬉しく感じた自分の感情の理由はわかったけど、そこで売っているものよりも飲み物を飲む店員の姿の方に興味があるというと、人に何か変に誤解されるかもしれない。


「制限」は「自由」の圧縮

ふと、自由と制限ということについて考えてみた。

「自由」には制約事項がない。全てを自分で決められるし、いつ何をしてもいい。自分で好きに選択することが出来る。一方「制限」の方では決められた条件・制約事項を守る必要がある。選択の自由は無いか、あるいはあっても制約条件に限定されてしまう。

自由 > 制限?

ただ、制限あってこその自由という考え方もある。例えば帰る場所があるから旅が楽しいんであって、そうでなければただの放浪になってしまう。ダラダラした生活は楽しいけれど、それが毎日になるとそれが単なる日常生活になってしまう。

自由 < 制限

「自由」はプラスのイメージで、「制限」はマイナスのイメージだと思われがちだけど、実は逆ではないかと思う。何かを書くことを依頼された場合に、書式やテーマも自由で、「何をどういう形式でいくらでも書いていいですよ」と言われてしまうと逆に困ってしまう。締め切りは設けないのでいつまでも待ってますと言われると、完成させることができなくなる。喫茶店での読書や仕事、ポメラのような機能が制限されたガジェットなど、そこ・それでやれることが限定された方が進行がはかどる。

自由な方が選択肢の幅が広がるけれど、実は制限された方がやりやすい。やれることが限定されると、その限定された選択肢にフォーカスすることが出来るので集中しやすくなる。

発散と収束

発散と収束という言葉がある。意見やアイデアを発散させることは重要だけど、発散させるだけでは何の役にも立たない。発散したアイデアを整理・集約、つまり収束させてはじめて使えるようになる。何かを人に伝える時には意見や考えを、「」という表現が制限された形式に抽象化して収束させることで、人に伝えることが出来る。「」に入る物は言葉、音楽、絵画、何でもいい。

「自由」=発散、「制限」=収束と考えるとスッキリする。自由に考えて制限の中に収束させる。「制限」に収束させる前に、どれぐらいの「自由」を考慮していたのか。それによって「制限」の価値が決まるような気がする。


ハードルを勝手に上げる

実は誰もそんなことは求めてないのに、思い込みで制約やルールを作りだしてしまい、勝手にハードルを上げてしまっているということが多いように感じる。

一番わかりやすい例は会社の面接試験。リクルートスーツのような謎のドレスコードは言うまでもなく、ノックは3回でお辞儀は30度とか。面接者側で、お辞儀の角度がどうこうを気にする人は実在するのだろうか。コイントスで五回連続で表だったからそろそろ裏がでると言っているみたいに、勝手に思い込んでいるだけで、それが都市伝説のように伝わってるんじゃないかなと思う。

「面接 お辞儀の角度」で検索すると、面接試験の基本マナー のような情報が大学の就職支援情報として出てくるから、それが必要で重要なことと思い込んでいる人が一定数は居るというのはわかった。

世の中には言ってみるテストという言葉がある。多くの場合、言ってみた所で別に大した損や恥をかくようなことはなく、得られるものだけが一方的に存在しているというケースも多い。特におばちゃんや関西系の人は得意だけど、その他の人はなぜそうじゃないんだろうか。

言っても何とかならなかったことを学習した、というよりはそもそも言う文化が無かったのかもしれない。そう考えると、子供/大人に関わらず、言ってみたら何とかなったという経験を積むことが重要なのかもしれない。