月別アーカイブ: 2013年1月

「引く」と「譲る」

Kindleでサラリーマン金太郎を買って読んでから、電子書籍で本を買うことに全然躊躇しなくなってしまった。iPad mini のサイズでも普通に読めるし、いくら買っても部屋が狭くなることもない。iPad mini は16GB版を買ったけど、こうなってくると32GBを買っておけば良かった。

いま読んでいるのは湾岸ミッドナイトC1ライダー。別に車には興味がないけど、この作者の漫画の通称「楠ポエム」と呼ばれるセリフが琴線にビンビン触れる。漫画を楽しむというよりは、考えるためのきっかけとして楽しんでいる。

この本の3巻、首都高での走行について話しているシーンに、ふと気になるセリフがあった。

・「引く」は相手の状況を見てからするコト
・「譲る」は自分の内側から出るモノ
・引くやつは状況しだいでまた押す

このセリフの何に引っかかったのか考えてみたい。「相手の状況を見てから」というのは、要するに状況に対して反応的であること。自分の行動が「その状況」に左右されてしまう。

有名な「7つの習慣」の第一の習慣、「主体性を発揮する」に刺激と反応という話があった。それが自分にとって好ましい・好ましくないに関わらず、刺激に対してどう反応するかは自分の自由に決めることができる。例えば雨でぐっしょり濡れてしまった。その「刺激」に対して、不機嫌という「反応」を選択することもできるし、気にしないこともできる。反応的な人間は刺激に対して、反応的な行動を取ってしまう。

「自分の内側から出る」とは、刺激に対してどう反応するかを自分で決めるということだと思う。これは7つの習慣で説く「主体性を発揮する」と同じことだ。

刺激に対して主体性を発揮するには、その刺激よりも上の視点を持ち、全体を俯瞰する必要がある。引く・引かない、譲る・譲らない、という視点だと主体性を持つことは難しい。その反応の先に何を見るか。先の得あるいは得の最大化のために、今の損を受け入れられるか。そのためには「譲る」視点を持つことが重要なんだろうと思う。


「考える」について考えてみる

同じ「書きながら考える」でも、キーボードで文字入力している時にはうまくまとまらなかったことが、紙の上で手書きをすると、すっきりまとまったという経験をすることが多い。

手を動かしながらだと、なぜ考えがまとまりやすいんだろう。たぶん、文字を書きながら考えている時も「文字で」考えているわけじゃないんだと思う。文字を囲った丸と丸の比較、上下関係、グルーピングなど。位置や大きさなどの情報を利用して、絵で、つまりイメージで考えている。

キー入力だと文字を書くのが容易なので、ついつい文章を書いてしまう。もやもやしている段階の考えは文章にはできない。文字にはできるかもしれないけど、もやもやした箇所を切り落としてしまう。もちろん、キーワードとしての文字なら問題無い。これは絵の変わりだから。

「考える」って?

「何か」について考えるというのは、何かの構造や関係性を「組み立てる」ことじゃないかと思う。すでに頭の中にある何らかの知識。これを引っ張り出すだけだと、考えたとは言えない。何らかの構造に「組み立てる」ことではじめて、考えたと言える。

構造が見えると、まとめる事ができるようになる。まとめる事が出来ると文字にする事ができる。構造が見えた物なら文章として組みたてられるけど、そうでない物は文章に出来ない。だから考え続けたり考えを深めるには、文章にしない方がいい。絵と、絵の変わりとしての文字だけを利用して並び替えたりしながら、構造を発見すると言う行為が必要なんだろうと思う。他人が既に「組み立てた」ものを持ってくるだけじゃ考えたことにならない。自分で構造化する必要がある。

複雑で、色々なことが絡み合った出来事について「考えて」みる。図や絵などを駆使しながら、その構造が整理され何らかの形に組み立てられると、スッキリする。組み立てている途中は「考えている」状態。組み立て終わると「考えた」と感じる。


イジメ対策として、すぐ転校して逃げちゃう、という手があってもいいんじゃないか?

飛行機代が何万円分も安いから、子供に終業式を休ませて帰省するという家の話を読んだ。その意見を読んだ他の人達に、常識知らずの親としてずいぶんと叩かれていた。賛成する人がほとんど居なくて、総叩きに近い。授業を休むのならともかく終業式であれば、成績表を受け取って冬休みの注意をされて解散するだけ。自分も別に構わないと思っていたので、その反応に驚かされた。

終業式に休むことで迷惑や不利益を被るのは誰だろう? 学校や教師にとっては、成績表の保管あるいは郵送するならその手間がかかる。でも、家族からみると帰省のための費用が安くなり、また比較的空いているので嬉しい。

本人にとっては当日に成績表を受け取れないだけ。いや、友人と友情を深めると言う点ではマイナスかもしれない。授業の無い最終日。何だか帰るのが惜しくて、たわいのないおしゃべりや、どこかに寄り道して帰るのがとても楽しかった。

イジメと逃げ道

イジメは、苛められることそのものも嫌な体験だと思うけど、本当に辛いのは逃げ場がなくなることじゃないかと思う。イジメられなくなるための選択肢を見つけられず、逃げることもできない。その結果、引きこもりになってしまう。あるいは最悪の場合には自殺という手段を選択してしまう。

ブラック企業で我慢しながら働き続けている人も多いけど、大昔とは違って転職をすることは別に珍しいことではなくなった。適性やその他の事情が絡むこともあるので転職にはリスクがあるけど、それに比べれば、転校はもっとポップにやってしまってもいいんじゃないかと思う。

程度問題ではあるけども、合わないものは合わないし、上手くいかないものは上手くいかない。確かに忍耐力が付かなくなって、辛いことがあるとすぐに逃げるようになってしまうかもしれない、という反論はある。でも、もう他に逃げ道がない、逃げることはできないと思い込んでしまって壊れてしまう方が、よっぽどダメージが大きい。

世の中には努力をしても変えることができないルールもあるけれど、全てがそうではない。固定観念にとらわれてしまって、そうではないものも、変えることができない、絶対に従わないといけないと思ってしまいがちだ。でも実は違う。

「それは制約事項じゃない。変えることができる。変えていいんだ」

ポップに転校してしまうことは、そういう視点を持つためのきっかけになるんじゃないかと思う。

まだ自分の子供は小さいので、学校に行くようになるのは何年も先のことだ。でも、仮にいじめられるようなことがあって、どうにもならない中で苦しんでいるようなことがあったら、すぐにでも転校させてあげたい。もちろん、ある程度はコミュニケーションをしてからだとは思うけど、悩んでいる時に、

「じゃぁ転校しちゃおっか」

気軽にそう言ってあげて、転校しちゃう。そういう経験を通して、別にその選択肢を取ってもかまわないのに、無理だと勝手に思っていただけだった。そう気づいて、視野が広がるきっかけになればいいな、と思う。


情報の理解と共感

いまだに苦手意識は残っているけど、スピーチで何かを話すのが苦手だった。話していると、自分でも何を言っているのか良くわからなくなることが多く、またそもそも何をどういう順番で話したらいいのかも理解していなかった。もう何年も前のことだけど、せめてもうちょっと何とかならないかと悩み、新宿の話し方教室の一日コースというものに行ってみたことがある。

自分の期待値がちょっと大きすぎたというのもあるけど、講師が話す内容が同業者のこき下ろしばかりで、非常にネガティブな気持ちを抱いていたのを覚えている。内容自体も、参考になったとは正直言い難い。ただ、一つだけ収穫があった。講師に指摘されて初めて気づいた。自分のスピーチは、話そうとしているテーマについて、自分の考えをほとんど言っていない。「そのこと」に関する解説や分析ばかりで、自分がどう感じて、どう考えたのかについての内容が全然無い。

スピーチに限らず、書く文章にも同じことが言える。自分がどう感じたかや、思ったことを書くと、小学生の作文のような文章になるかもしれない。それを恐れて、ついつい分析的な内容ばかりになってしまう。分析や講評は、その内容や視点が勉強になると相手に思わせられる(かもしれない)という点ではいいけど、面白いと受け取られることは少ない。また「勉強になった」と感じさせるには、その視点がよほど鋭かったり斬新な必要がある。これはかなり敷居が高い。

感情や思いを伝えるポイントは共感

スピーチあるいは文章を読んで「面白い」と感じさせる。そのためにポイントとなるのは「共感」じゃないかと思う。小学生の作文では、よほど書くことに慣れた子を除けば、「えんそくにいきました。おもしろかったです」という内容になってしまう。良くて面白かった出来事そのものが書いてあるぐらい。読み手を「その時の自分と同じ気持ちにする」という意識では書いていない。

知識や情報、あるいは何かに対する考えの伝達や共有を目的とする場合には、論理的な構成でさえあればいい。相手がその内容を理解できれば、目的を実現できる。ただし何かを伝えるときには、言葉でただ「面白い」と言うだけではダメだ。頭で「理解」することはできても「伝わらない」言葉になる。

非常に有名だけど「春の魔法」という、ある盲人の話がある。内容を簡単に説明すると、こうだ。

ある所に盲人がいた。目の前に「私は盲人です」という紙を置いていたけど、ぜんぜんお金を恵んでもらえなかった。ある日、通りがかった男が盲人の前の紙にサラサラっと文字を書き加えたとたん、どんどんとお金をいれてもらえるようになった。その紙にはこう書いてあった。

もうすぐ春がきます。でも私はそれを見ることができません。

直接言葉で説明しても伝わらず、共感させることによって何かが伝わった、というわかりやすい例だと思う。

本でも映画でも何でもいいけど、何かについてその感想を書くとき、ついつい内容を書きたくなってしまう。それで相手に共感されるならいいけど、よっぽど強いエピソードじゃないと難しいし、ネタバレになる危険性がある。感情を伝えることが目的であれば、内容とまったく関係のない話であっても構わないはずだ。自分が何に面白さを感じているのかが相手に伝わりさえすれば、「共感」つまり自分と相手は同じ気持ちになれる。

結局、スピーチでも文章でも、それが何を目的としているかを意識することが重要となる。情報の伝達や理解なのか、感情の伝達なのか。情報の伝達に感情が含まれてもいい。でも感情を伝達するのが目的の時に情報しかないと、分析屋さんになってしまう。

未来の自分へ

何かを伝える時の「相手」には、未来の自分も含まれるのだと思う。言葉に自分の気持ちを封じ込めることにより、未来の自分が見た時に、その時の考えや気持ちに戻ることができる。

これまでは、自分の考えをまとめる事を目的として文章を書いてきた。テーマにもよると思うけど、そのときの自分の思いや感情を言葉に封じ込め、いつでもそれを再生できるようなスピーチや文章というのも、これから意識してみたいと思う。


「特例的に1割に据え置き」された医療費窓口負担とは?

負担引き上げ判断、参院選後に棚上げへ 高齢者医療費 という記事があった。この中で、「特例的に1割に据え置かれている70~74歳の医療費窓口負担」とは何のことか気になったので調べてみた。

特例的に1割に据え置かれている70~74歳の医療費窓口負担について、安倍政権は7日、法律通りの2割にする時期の決定を、夏の参院選後まで棚上げする方向で調整に入った。2014年1月から段階的に2割にする案で与党内の慎重派を抑えようとしたが、選挙前に引き上げ時期を決めることへの反発が強かった。

高齢者医療費とは?

後期高齢者医療制度に関しては色々経緯があるみたいで、なかなか現状がどうなのかわかりづらい。定期的に最新の情報に更新されている 後期高齢者医療制度 5分で概要マスター が参考になった。

(後期)高齢者医療は、日本国内に住む75歳以上の全員と、前期高齢者(65~74歳)で障害のある者が対象となり、対象者が医療に掛かった際の自己負担割合は通常は1割、現役並みの所得者(課税所得145万円以上)は3割となっている。

本来であれば前期高齢者の半分(70~74歳)の現在1割負担の「医療費窓口負担」が、2013年4月から2割負担に引き上げられる予定だった。件の記事は、この引き上げが平成26年(2014年)1月からになる見通しということを言っているようだ。

「後期高齢者」つまり75歳になると、国民健康保険から「後期高齢者医療制度」に自動的に切り替わり、その保険料は個人単位で計算される(国民健康保険の場合は世帯単位で保険料が計算される)。その保険料は年金から自動天引きされる。

たとえ後期高齢者医療制度に切り替わったとしても後期高齢者の負担額は変わらない。わざわざ分けるようになったのは、現役世代と後期高齢者世代の負担関係が良くわからないため、医療費抑制の施策などがやりにくい構造だかららしい。そのため、後期高齢者だけを独立させて、医療給付を集中管理することになったようだ。

これまで他人事だと思ってあまり内容を理解していなかったけど、気になって調べてみると、なかなか興味深い。


【移動】「オフショア開発」と「コンテキストをあわせる」

コンテキスト(コンテクストとも言う)は、文脈や文章などの前後関係、事件・出来事の事情や背後関係、と定義されている。わりと範囲の広い言葉で、自分自身は共通認識や文化が異なるときに「コンテキストが違うのでウンヌン」と言う使い方をすることが多い。

【文脈/コンテクスト】 に、コンテキストとは何かを理解するのに、とてもわかりやすい説明があった。

 <コンテクストのすり合わせ>とは特に、演劇において使われている用語です。
例えば、劇のとあるシーン。役者Aは自分の演じるキャラクターが、そのシーンで怒っているのだと思った。しかし役者Bは、そのシーンで役者Aの演じるキャラクターは、悲しんでいるものだと考えてしまった。
このまま舞台練習を開始しても、役者AとB、ふたりの演技は食い違ったものとなってしまいます。ですから事前に、脚本その他演劇全般に対する解釈を、皆の間で一致させる作業が必要となってきます。
解釈、すなわちコンテクストを共有・一致させる。このような作業が、<コンテスクとのすり合わせ>なのです。

日本は高コンテキスト文化と言われる。最近はそうでもないのかもしれないけど、おおよその価値観が人や地域によって大きく異なることは少なく、「空気を読む」ことで、お互いが求めてるものを理解することができる。一方、アメリカなど多くの人種が入り交じっているような国は低コンテキスト文化とされている。そもそも読むべき空気が無く、価値観もまちまち。両者の差異は本の厚さでも比較することができる。低コンテキスト分化の国では、経緯や背景、心理状況などを事細かに記載することで、まずコンテキストのすり合わせから入る必要がある。

同じような職種の人のように、お互いに同一のコンテキストを持っている同士では、非常に楽にコミュニケーションできる。お互いにお互いの空気を読めるため、それをわざわざ伝えなくてもその背景が共有できてしまう。これはいっけん良いことのように思えるけど、この「コンテキストをあわせる」という能力がまったく育たなくなってしまう。

オフショア開発の課題の一つとして、「日本側の要件・要求が正しく伝わらない」ということがある。これはこの高コンテキスト文化でのコミュニケーションが主な原因だと思う。異文化間でコンテキストをあわすことは難しい。いや、おそらく無理だ。欲しい物、つまり品質目標も含めて「要件をすべて書き切る」必要がある。

面白いのは、「いい感じによろしく」と、他人にある程度丸投げてやってもらっていた人にオフショア開発向けの要件定義書を書かせてみると、いくら頑張っても「要件を書き切る」ことができない。しょっちゅう、望んでいたものと違うものが出来上がってくる。書かせてみることで、内容についてどれぐらい網羅的に考えているかの判定に使うことができる。誤解されがちだけど、頑張っても「伝わらない」のはコミュニケーションスキルの問題ではない。

なるべく、コンテキストの共通点が少ない人と話すことで、このあたりの能力を伸ばすことに繋がってくる。例えば同じ会社の中なら「まったく技術の分からないセールス」と「技術者」のように、専門用語が通用しない相手がいい。技術がわからない人に対して、技術の話をわかりやすく話すという経験を積みまくることで、このあたりのスキルがすごく身についた。


生活保護の医療費免除は、もう無くなるだろう

SankeiBiz で、政府、生活保護費抑制へ後発薬に誘導 「先発薬使うなら差額自己負担」 という記事を読んだ。生活保護費の削減とジェネリック普及のために、生活保護の受給者が先発薬を選択した場合、先発薬とジェネリックの差額は自己負担を求めるという方向で検討に入ったらしい。

そもそも生活保護の受給者は、医療費負担が免除されている。そのため過剰なほどやたら通院している(と言われている)。この記事によると生活保護者のジェネリック使用率は、一般の人が23%なのに対して20.9%しかない。また医療補助費は生活保護費全体の内、その約半分を占める1.6兆円かかっているらしい。自民党は衆院選公約で「生活保護費の8000億円削減」を打ち出しているため、医療費の削減は急務と言える。

後発薬すなわちジェネリック薬は、先発薬とまったく同じ成分で作られている。ただし成分が一緒なだけで、薬のカプセルなどの形状や溶け方などは必ずしも同一とは言えないらしい。つまり、薬の効き方が異なる可能性があるため、先行薬とまったく同じものというわけじゃない。言うなれば、一流店のメニューを別のシェフ(ただし一流の)が、同じ材料で作った料理のようなもの。作り方が違うのに同じ味、栄養ということは可能だろうか。料理の世界なら出来るか。

また普及率が20%強しかないということは、薬局にジェネリック薬の在庫がない可能性がある。国はジェネリック薬の使用を強く推進してはいるけど、薬局の現場ではジェネリックを仕入れてもなかなか在庫が無くならないそうだ。在庫リスクが高まるため、薬局としてもいつ出せるかわからない薬の在庫を持つことはなかなか難しい。

生活保護者がジェネリック薬を使うことを実質強制することにより、薬を求めて薬局を転々とさせられたり、あるいは最悪の場合は薬が手に入らないということも起こり得る。またジェネリック薬にしたとしても、実際には価格に差異があるのは薬剤料だけで、調剤報酬とかの金額は変わらない。生活保護者にジェネリックを強制することで医療費が下がるのは間違いない。でも大幅に削減出来る訳じゃない。

医療費の少なくとも全額免除は、今後なくなっていくと思う。あるいは診療報酬の引き下げにより、そもそも医療機関に支払われる金額を減らしてしまうか。どちらにせよ国の支出の削減は実現できる。国の立場でできることはこれぐらいだろう。

国からの「生活保護者は早く死んで国費負担を減らしてくれ」というメッセージとも思えてしまう。ただ、じゃあどうすればいいのか。残念ながら有効な手だては思いつかない。


ポイントカードはネット広告に近づいてくると思う

損して得取れという言葉がある。辞書で引くと、「一時的には損をしても、将来的に大きな利益になって返ってくるように考えよ」と書かれている。つまり目先のコストではなく、それによって最終的な利益がどうなるかを意識すべき、ということだ。うちの嫁の買い物方法を見ていると、きれいにその真逆のことをやっている。一言で言うと、見事にポイント商法にやられている。

「あとxx円でポイントが付くから」

そう言いながら、10円分のポイント獲得のために、100円ぐらいの、そんなに必要でもないものを追加で買ったりする。言うまでもなく、それを買わなければポイント分よりもはるかに得なんだけど、そのことを指摘すると「ポイントは女のロマンなのよ。ほっといて」という言葉で片付けられてしまう。

事業者側のポイントシステムの導入目的は、だいたい以下のどれか(あるいは複数)に当てはまると思う。

1)現金値引のかわりとして
 例:家電量販店のポイント

ポイント引き当て金やIFRS関連で混乱があるものの、期限切れで失効してしまうことも期待できるため、事業者側にとっては現金で値引きするよりも有利。顧客の囲い込みにもつながる。

2)より多くのものを購入・使用させるため
 例:x円以上のお買い上げからポイントが付く

一定金額以上で値引きや金券を提供。飲食系が多いのは、たとえポイント合わせのためとはいえ「モノ」は不要なものはなかなか買ってくれない。食べ物系だと多少余計なものを買ってもいい、と思わせやすいからかも。

3)囲い込み、継続、再訪を期待するため
 例:携帯キャリア、飲食店や販売系、飛行機のマイル

他社製品・サービスに浮気させず、いかに継続して使わせるか。最近これはうまくできていると思ったのはオムツに同梱されているポイント。オムツの使用量は多少のブレはあるけど、だいたい一定。特にオムツのサイズが変更になる時期というのはほとんど個人差が無い。オムツの追加やサイズアップの時に他社製品に浮気・乗り換えられないように、付与されるポイント数と交換できる景品のバランスが絶妙。

4)行動履歴や個人の特定のため
 例:TポイントカードやPontaカードなど

マーケティングやキャンペーン、商品開発のためのデータ収集。現時点ではデータ取集の側面が大きいと思う。今後はそれを利用して、レコメンドに使われるようになったりするのではないか?

個人の特定ができるようになるため、もうやっているのかも知れないけど、要注意顧客のトラッキングのようなことも出来るようになる。ある店で、誤解なのに「この人はこれこれこういうことがあった。クレーマーだ」と情報入力されてしまったら? 今後、クレジットカードの信用履歴のように扱われていくのかもしれない。その信用情報に価値が出てくるようになると、優良顧客として扱われるような信用情報を記入したり、あるいは望まない信用履歴を削除するようなビシネスがあらわれてくるかも。

ネット上は言うまでもなく、リアルでも行動履歴は一大ブームになっている。例えばディスプレイネットワークなどでは、ユーザがアクセスしたサイトや過去の行動などを保持している。そのユーザが別のサイトにアクセスした時にも、広告業者のシステムがリアルタイムで、そのユーザにマッチする広告を表示するようになっている。行動履歴を元にした広告などは現時点ではネットが先行しているけど、今後、リアルも追いついてくると思う。

さすがに入店情報はまだ取っていないところが多いけど、いつどこの店で何時に何を買ったかはすべてカード発行会社に吸い上げられている。(少なくとも今の所は)他店舗で入力・収集された情報を見ることは出来ないけど、発行会社にリアルタイムで問い合わせを行うような仕組みを組み合わすことで、「このユーザに何をレコメンドすればいいのか?」という情報をもらうようなことはすぐにでも出来てしまう。

一時期、デジタルサイネージが流行ったことがあった。今ではスマフォが普及したので、例えばTSUTAYAでキックアスを借りたAさんには、近隣のローソンでからあげクンを買う可能性が90%ある。クーポン券をスマフォに送って送客してみよう、というようなことも可能となる。マイノリティレポートの世界にも近いな。

対抗策としてはポイントカードを使わないことぐらいしか無い。ただコンビニだと、いちいちポイントカードが無いか聞かれるのが鬱陶しいので、つい出したくなってしまう。


ノロウィルスの予防に手洗いが一番な理由

過去に一回だけ、ノロにかかったことがある。原因は生牡蠣で、治るまでの数日間、終始吐きっぱなしで物凄く苦しかった。しかもアレルギーだか何だかわからないけど、それ以来、生だけではなくカキフライですら軽く当たるようになってしまった。

幸い、まだ自分の周りで感染した話は聞かないけど、どうやら今年はノロウィルスが大流行しているようだ。実際にそうなのかはわからないけど、2011年に輸入食品等事前確認制度に登録され、衛生検査が免除された韓国産キムチ が感染源とも言われている。

せっかくなのでノロウィルスの予防方法と、アルコール消毒ができない理由を調べて見た。一番わかりやすく、納得できたのは ノロウイルスとアルコール消毒のおはなし。 ~エンベロープってなに?~ の説明。これによると、

  • 菌やウィルスのまわりにはエンベロープという膜がある
  • エンベロープの大部分は脂質のため、アルコールや石鹸などで破壊できる
  • エンベロープが破壊されると、ウィルスは増殖できなくなる 細胞に入り込むことができなくなる
  • ところで、ノロウィルスにはエンベロープがない!
  • 壊すべきエンベロープが無いので、ノロウイルスに関して石鹸やアルコールは効果がない
  • ただし、浮かせて洗い流すことが出来るので、石鹸での手荒いはかなり有効

ということらしい。もしノロウィルスを積極的に殺すなら、酸が効果的のようだ。キッチンハイター最高。

ノロウィルスは駄目だけど、それ以外の菌やウィルスがなぜ石鹸やアルコールで殺菌できるのか、ようやく理解ができた。正しい知識を持たずに思考停止してしまって、ただ実行することの危なさも、改めてわかった気がする。


割り込むタイプのファストパスの導入は難しい

先日 有償の選択枝は待合室の空気を和らげる という記事を読んだ。「支払いをするとサービス向上、支払いをしないとサービス維持」という世界であれば成り立つけど、「支払いをしない = サービスは低下する」となった場合、その人は納得しないのではないかと思った。病院の待合室のような場合は後者に当たる。

Amazonプライム

もう何年もAmazonのヘビーユーザだけど、特に急ぐような物を注文することがないので、いまだにAmazonプライムに入らずに通常配送を使っている。ただここ一年ぐらいは通常配送で注文をすると、明らかに一日寝かしてから配送手続きが始まるようになってきた。昨日の朝に注文した本の場合、日付の変わった0:10ごろに発送手続きが完了した旨のメールが来た。

昔は、当日のうちに配送手続きがはじまることもあった。だからAmazonプライムユーザの満足度向上のため、あえて通常ユーザの優先順位を下げているんじゃないかと思ったけど、実はそうではないみたいだ。配送の現場はもはや限界で、そうでもしないと回らないような状況になっているらしい。Amazonのゴリ押し大量物流で、佐川・日本郵政が限界に!? という記事に、佐川急便や日本郵便の限界っぷりに関する記事があった。

Amazonは自社で運輸業に乗り出す動きがあるという。最近、佐川急便は同社に大幅値上げを打診。多くの運輸業者がその規模の大きさゆえに、取引を続けてきている。しかし、採算度外視の取引のために、現場が疲弊しているのが現実だ。佐川急便としてはこれ以上不採算事業はできないと、Amazonとの取引を断られることを覚悟で大幅の提案を行ったのだ。

実際に、Amazonの大量の取引は現場を大きく歪めている。

日本郵便では、Amazonとの料金は本社のトップ交渉で決まるために、支社・支局レベルではまったく数字が開示されていない。現場では、同社の物流量に追いついておらず、Amazonの郵送を優先する「計画配送」を行なう一部郵便局もあるという。休日中に配りきれない書留や特定記録郵便など(中身はクレジットカードやキャッシュカードだ)の郵便物を後回しにして、Amazonを優先しているのだ。

一方、荷物を受け取る立場としては、配送手続きが始まらなくても別に腹も立たない。お金を払ったら早くなり、払わなかったら普通という選択肢を出されると、どちらを選択してもストレスを感じなくなる。むしろ、お金を払わなくて済んだので、逆に得した気分にすらなるかもしれない。

これはAmazonプライムに申し込んだら、つまり追加でお金を払ったら、早く届くことがわかっている。だけどあえて「早く届かない方を選択している」という認識になっているからなんだろう。これが「配送手続きが後回しにされる」だと、また話は違う。

非課金者が不利益を被る場合、ファストパスの導入は難しい

見せ方による工夫の場合もあるが、「お金を支払わない場合は普通のサービス。もっといいサービスが欲しければお金を払いなさい」というラインナップになっているサービスは多い。例えば新幹線などの指定券・グリーン車、飛行機のビジネス・ファーストクラスの優先搭乗とか。

「ファストパス」や「優先パス」などで検索すると、ディズニーランドのファストパスに関する話がよく出てくる。このファストパスでは、発券した時点で集合時間が指定される。その時間に専用の入口に行くことで、すぐにアトラクションを利用できるというものだ。ただこれは行列に並ばずに優先的に入れるというのとはちょっと違う。行列の場所で待つのではなく、単に別の場所で時間を潰してくれればいい。いうなればファストパスがかわりに並んでてくれるようなものなので、つまり実質は並ぶ場所が変わっているだけだ。

たとえ有料でお金を支払っていたとしても、お金を支払わないと自分が受けるサービスが落ちる場合、釈然としない気持ちを抱く。病院や銀行の窓口、コンビニやスーパーのレジの待ち行列。これらに優先的に割り込めるファストパスを設けた場合、割り込まれた方は「本来かかるはずだった時間」よりも待ち時間が長くなる。Amazonプライムや飛行機の搭乗の例は、優先的に処理される時間があらかじめ織り込み済みだから、ストレスなく待つことが出来る。

例えば銀行やコンビニの窓口・レジでファストパスを導入するにはどうすればいいだろうか。人件費を無視できるのであれば、専用カウンタを設けるというのはひとつの手かもしれない。空いている場合は通常の人も処理するけど、あらかじめ「有料者優先窓口・レジ」となっていることで、「サービスの低下」を感じさせずに済む。

ディズニーランドやUFJのファストパスに通常の行列とは別の入り口があるのは、この理由なんだろうと思う。同じ入り口で割り込みをさせてしまうと、おそらく揉めてしまう。

優先処理をするだけのファストパスであれば、導入してもあまりコストがかからないので、結果、単純に収益を増やすことが可能となる。だからAmazonプライムと同種の構造のものは、今後ファストパスのようなサービスが増えてくるだろうな、と思った。