月別アーカイブ: 2013年2月

縮約:契約ルール、120年ぶり全面改正へ 個人保証制度など

契約ルール、120年ぶり全面改正へ 個人保証制度など の縮約。

債権法の改正に向け、今後の「たたき台」となる中間試案が26日、まとまった。

大きく変わりそうなのは、個人保証の制度だ。連帯保証人が破産や自殺に追い込まれるケースが後を絶たないことから、中小企業などへの融資では経営者以外の個人保証を禁じる規定を検討する。

企業が不特定多数の客と取引する際、同意を求める「約款」のルール新設も盛り込んだ。インターネット取引などで広く使われるようになった半面、消費者がよく読まずに契約しトラブルになるケースも多い。法的な効力や限界を明確にし、不当な内容は無効とする方向だ。

未払い代金などを請求できる期間を定めた「消滅時効」は統一化する。現行法では職業別に分かれているが、5年に統一するなどの案を示した。

支払いが遅れた時に上乗せされる利息(法定利率)も3%に引き下げる。常に経済情勢に合った利率にするため、年1回0・5%幅で見直す変動制を導入する。

裁判例で積み重ねられてきたルールも明文化。「暴利行為」を無効としたり、契約当事者間に大きな情報格差がある場合は、詳しい側に情報提供義務づけを検討する。

中間試案に対する意見を4月から募った上で、部会でさらに議論。答申を受けて法務省は、2015年中に改正法案を国会に提出したい考えだ。

融資時に連帯保証人が求められなくなるのは一見いいことだけど、実は逆効果じゃないかな。貸し付ける方の立場で見てみると、これまでは「経営者からは無理そうだけど、連帯保証人からは回収できそうなので融資OK」としていたケースが、経営者の支払い能力や担保だけで判断するようになる。

確かに連帯保証人の問題は重要ではあるんだけど。単に連帯保証人の破産や自殺のケースが、融資を受けようと思っている経営者につけ変わるだけじゃないか? 貸し渋りが進んでしまいそうに思える。

約款の問題は、昔は保険業界はその代表的なケースだったと思うけど、最近はかなり変わっているようだ。約款はもちろん残っているけど、そもそも平易な日本語で書かれていてわかりやすい上に、重要な箇所は別紙で明確に記載されるようになっていた。ネット上の約款は内容の問題じゃなく、そもそも読もうと思えないような表示の仕方、つまりデザインやUIの問題じゃないかな。


縮約:改正労働契約法 -定年延長法に盲点、契約社員に大チャンス

改正労働契約法 -定年延長法に盲点、契約社員に大チャンス を縮約した。

今年4月から改正労働契約法が施行される。対象は有期契約労働者。1年契約の繰り返し更新のケースなら、5回目の更新後に無期転換の権利が発生する。

ただ、5年ルールにより、企業が正社員を一生雇わなくてはいけなくなる可能性が指摘されている。

これには今年4月から施行される改正高年齢者雇用安定法が関係している。じつは5年ルールは、再雇用の有期契約にも適用される。定年後に再雇用され5年を超えて働けば、無期社員に返り咲くことができる。しかも復活社員は65歳以上で、60歳定年制が適用されない。

無期転換の権利発生前に、ぴったり5年で更新をやめればという考えは甘い。有期契約を繰り返し更新すると「更新期待権」と呼ばれる権利が発生し、雇い止めが無効と判断される場合がある。

労務問題に詳しい向井蘭弁護士は、こう解説する。

「再雇用契約は上限を65歳の誕生日までとして、通算5年を超えて再雇用契約を更新しないことを就業規則と契約書に明記したほうがいい。ただ、同じ契約なのに差をつけると、裁判で契約内容が反故にされることがあります」

また改正労働契約法では、5年経過後に無期転換しないことを条件に契約更新することも無効とされている。

「65歳以上も続けて雇用する場合、企業にできるのは、無期転換権を事実上買い取るか、就業規則に“第二定年”を定めておくことぐらいでしょう」

正直、(その人の人権を無視すれば)仕事の繁忙で自由に雇用したり雇い止めできると、雇用する側としてはありがたいのは確か。改正労働契約法が施行されることにより、これまでは(有期契約ではあるけど)ずっと更新し続けていた人を、更新期待権が発生する前(例えば3年位?)に雇い止めするケースも、いっぱい出てくるんじゃないかなと思う。

就業規則に「第二定年」を定めるというのも何だか本末転倒のような気がしてならない。

改正労働契約法って、本当に誰かのためになるんだろうか? ToBeはいいけど、運用が追いつかない無意味な法律になりそうな気がしてならない。


AmazonのAWS紹介セミナーに行ってきた

これまではオンプレ環境だけでVMWareを使って構成してきたけど、いい加減運用も手間になってきたので、そろそろAWSの全面導入を検討している。AWSは何年か前にEC2とS3を使ったきり。それからいくつもサービスが出ていて、結局今はどうなっているのかよく分からなくなったけど、ちょうど目黒のAmazonのセミナールームでAWSを網羅的に説明するセミナーがあったので、行って話を聞いてきた。

セミナーの時間は90分ぐらい。事前にAWSのサイトの説明を読んでいたため、正直あんまり目新しい内容は無かった。ただ、サービスの紹介を聞きながら、何をどういう構成で使おうかを考えるきっかけにはなったので、まったく収穫なしという訳ではなかった。今さら当たり前になってきたけど、あらためてディスクの容量や台数などを気にしなくてもいい世界というのは、インフラ構成にイノベーションを起こすなと感じさせられる。

Webビジネスはやって見ないとよく分からない。当然、どれぐらいのユーザがどれぐらいのタイミングでやってくるのかを事前に予測することは難しいし、難しいしということが受容されている。でもインフラ構成はなぜかそれが許されない環境におかれることが多い。どれぐらい来るかの予想ができないのに、対応することを求められる。

AWSを活用することにより、ビジネスと同じようにやってみないとわからないという環境、例えば急に増設が必要になったら、すぐにしかも自動的に増やすというような対応が可能になる。ようやくフェアな構図が作れる予感がビンビンするので、早く使って見たいと思わされた。


要約の話を要約してみる

複数のソースからひとつの要約をつくる技術ーことばのサーキット・トレーニング という記事を読んで、この記事自体を要約してみたらどうなるんだろうか気になったので、ちょっとやってみた。

縮約も気になるけど、とりあえずは要約から。

要約してみる

縮約の話をした 30日で達人級の実力がつく日本語トレーニング〈縮約〉はこうやる 読書猿Classic: between / beyond readers の続きとして、要約の話をする。

日常の実用文は要約もしくは要約を含んだ物である。要約の技術は書き言葉による情報伝達に不可欠で、今日から役立つばかりではなく、読み書きの基礎スキルのトレーニングにもなる。

母語に加え、外国語の読み書きにも総合訓練となる、要約づくりのトレーニングを紹介する。

より実践に近く、複数の文章を組み合わせて一つの要約を作る。

元ネタは英語のアカデミックライティングの教科書にあったものだが、同一トピックについて複数の文章が見つけやすいため、専門文献ではなく一般の百科事典を素材にしている。

なぜなら

  • 一記事が長すぎず、短過ぎない
  • 難易度が低い
  • ちゃんとした書き言葉

というビギナー向けの特徴を持っているから。また今ではネットを使って、簡単に複数の百科事典を引き合わせることができる。

(1) 同一トピックを扱った複数の文章を用意
(2) 読みながらキーワードに線を引く
(3) キーワードの重複を数える
(4) キーワードを使って文をつくる
(5) 構成を整える
(6) 原文を読み返しチェック

トレーニングに負荷を加える場合、キーワード拾い出しと文章作りの時間を空ける。

やってみた結果

元の記事はふらふらしている印象があって正直読みづらかったけど、要約をすることで言いたいことがスッキリ読み取れるようになった。

ただ、精読には役立つと思うけど、何かの能力開発に繋がるような気があまりしない。そういう用途には縮約の方が適しているのかもしれない。また何かの文章で試してみようと思う。

 


精神障害とノマドワーカー

先日どこかのサイトで、健常者と義足の人が陸上競技をやった場合、義足の人の方が健常者よりも圧倒的に速かったという記事を読んだ。義足の軽さと反発力により、もはや反則に近い速度が出るそうだ。

「障害」は英語で言うと disability と言う。つまり、行動などの「ability」を制限されている状態を指している。にもかかわらず、「義足だと圧倒的に有利」というのは何だか皮肉な印象を受ける。肉体的なことだけではなく、精神障害にも同じことが言えるんだろうか。ふと気になった。

朝のホームに出没する自由人

ほとんど毎朝、駅のホームで大声を出しながら車掌の真似をする男性がいる。もし自分の近くに立たれてやられると、イラつくと思う。でも端から見ている分には害もないし、何だか楽しそう。赤ちゃんや子供と同じ。思った時に思った行動を取れるので、とても自由に見える。「自由人」という言葉を連想した。

一方で、ごく普通の通勤者はどんよりしていて、何だか辛気くさい。もちろんだからと言って、みんなが「自由人」の真似をすればいいという訳ではない。みんなが少しずつ気を使いながら社会が出来ている。みんなが好き勝手やりだすとむちゃくちゃになってしまう。「自由人」はある意味、みんなが作った社会にフリーライドして、美味しいところだけ食べているとも言える。

ノマドワーカー

ちょっと前から鼻につくようになった「ノマド」賛歌にも、同じような感じを受ける。

「毎朝ラッシュの電車に乗って出勤したり、会社で面倒くさい人間関係などに振り回されるのは嫌だ。フリーランスとして自由に生きていくんだ」

もちろんどういう生き方をしようと、個人の選択の自由だ。ただ、(明言しているかどうかはともかく)「ノマドという生き方を選択した自分は、普通の勤め人よりもすごい」というような意見には違和感を感じる。通勤の苦労に始まり、社会を回すための不合理だけど誰かがやらないといけないような仕事。面倒なことを誰かがやっているから、ノマド的な働き方も成り立っていると思う。

ただノマドを煽っている人は、ノマド的な働き方にメリットを感じてそれを広めようとしていると言うよりは、ノマド的働き方をする人が増えると、自身に何かメリットがあるんじゃないだろうか。そういう見方で賛歌している人を見ると、また違う物が見えてくる。


秋葉原の店員にならなくて「助かった」とつくづく思った

すでにあちこちで話題になっているけど、石丸電気が閉店するらしい。いまはエディオンに名前が変わったんだったか。昔、20年ぐらい前かな、秋葉原でバイトしていたことがある。就職を控えて、今後どうしようかと思っていた時に、「社員にならないか?」と誘われた。

昔からIT業界で仕事をしたいと思っていたので断ったけど、もしそのまま店員になっていたら、どうなっていただろうか?

勤務時間は実質8時30分〜21時ぐらいで、日による変動はほとんど無い。IT業界のように急なトラブルによる残業などがほとんどないため、労働時間のバラツキが少なく、予定はとても立てやすかった。週休は平日に1日。多くのIT企業より勤務条件はいい。

ただ正直、仕事内容はつまらなかった。バイトはインセンティブが付くこともなかったというのもあるけど、まさに時間を金に変える仕事だった。当然、特にスキルが身につくこともない。

当時は景気もそう悪くなかったので、給与はそ学生のバイトとして考えると、そう悪いものでもなかった。ただ、ネット通販の普及により、全ての状況が変わってしまった。いま振り返って考えると、危なかったな、と思う。バイトしていた店も何年か前に倒産してしまった。仮に店員になってしまっていたとしたら、特に際立ったスキルも無いし、量販店はどんどん潰れまくり。よっぽど販売スキルが高いならともかく、そうでないならまったく潰しがきかない。

当時に先見の明があったわけではなく、単に運が良かった。自分にやりたいことがあって、その能力を伸ばすために頑張っている、とかであればまだいい。でも強くやりたいと思っていたことも無かったので、別のスキルを生かして再就職というのも難しい。当時の仲間達には申し訳ないんだけど、ほんとに正直助かったと思う。


ブラック企業にも存在価値はあると思う

ブラック企業は、存在するだけで悪だ、そこから早急に脱出すべきだし社会からも消えるべきだ、と言われることが多いように感じる。ルールを守る企業を潰すことになったり、労働力の搾取というイメージがあり、確かに同意ではある。ただ一方で、その業界や「ブラック」の定義にもよるけど、必ずしもそうとは言えないケースもあるんじゃないかと思った。

例えばSI業界における2次、3次受けの下請けのブラック企業の場合。とても微妙なスキルの人であっても、頭数いくらで金額が付く。そのため、応募すれば誰でも入れるということも少なくない。もちろん敷居の低さと過酷さは、ある程度リンクするだろうけど、そもそもの能力が無い・不足している人であってもブラック企業は受け入れてくれる。つまり雇用の受け皿の一つとして、立派に機能しているという面もある。

労働力に対する報酬のダンピングというか、生活のために働くことになってしまう一方で、逆に言うと、働くことで最低限の生活は出来るようになる(可能性が高い)。

もちろん「ブラック」の度合いにもよるし限界はあるけど、ブラック企業が無くなってしまうと、そのような人達の受け皿がなくなってしまう。「素人は去れ」ということは簡単だけど、そういう人達はどこへ行けばいいのか。この世から消えてなくなってくれるならいいけど、そうもいかない。当然その一部は生活保護に流れるだろうから、結果として社会が成り立たなくなってしまうんじゃないか。

ホワイト企業になると?

仮に世の中の企業がすべて「ホワイト企業」になったらどうなるんだろうか。能力がなくても必要以上の給与がもらえるという企業はあまりにも現実離れしているので、能力が「正当に」評価される企業をホワイト企業と定義してみる。

ホワイト企業においては、自己責任がより求められるようになる。能力が微妙な人間はそもそも入社することが出来ないし、仮に入社できたとしてもその「アウトプット」が正当に、つまりその能力に応じてキチンと「低く」評価されることになる。フェアな企業や社会であることは重要ではあるし、それが資本主義なのかもしれない。ただそれだと能力がない人は、救いようがなくなってしまう。

ブラック企業でも得られることはある

似たような構図として、南北戦争の奴隷解放の時代の話を聞いたことがある。奴隷が解放されることそのものは間違いなく良いことだけど、一方で、奴隷は持ち主の管理責任の元、支配のみではなく管理もされてきた。奴隷から解放されることにより、それまで奴隷だった人達は望まない自己責任をおしつけられ、結果として工場などで使い捨ての労働力として酷使されるようになってしまったという。

以前、「10年間泥のように働く」ということを言ったSI企業の人が叩かれまくるということがあった。自分自身も、ブラックな企業で死ぬほど働いてきた。ただ、労働基準法て何? という状況でそれこそ泥のように働いた年月で身につけたスキルや経験は、確実に自身の血肉になってくれていると感じる。労働に対する対価を給与だけで判断すると、当時はとても大変だった上に圧倒的な搾取の元での労働ではあったけど、長い目でそこで得られたものを振り返ってみると、少なくともトントンではあったように思える。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」だからかもしれないけど。

重要なのは「ブラック企業を無くすこと」ではなく、そのブラック度を少し下げることじゃないかな、と思う。


大阪市天王寺区役所の報酬なしの何が悪いの?

大阪市天王寺区役所の デザインの力で、行政を変える!!~天王寺区広報デザイナーを募集します~ の募集要項で、報酬なしとなっていることが悪い意味で話題になっているようだ。曰く、プロの仕事をなめるなとか、役所は上から目線だ、などなど。

正直、叩いている人達は役所憎しで反応してしまって、冷静な判断が出来ていないんじゃないだろうか。少なくとも、売上を上げるために広宣費をかけるという類のビジネス経験は無いように感じる。ただ、デザイナやエンジニアのように、アウトプットとその対価が直接結びついているような仕事しか経験が無いのであれば、報酬なしということに対して過剰反応してしまうのもわからなくはない。

提供するアウトプット・労力というコストに対して、そのリターンが大きければ普通のビジネスの構造に過ぎない。「報酬なし」という仕事であっても、それによるリターンに価値を見いだせるかどうかで判断すればいいだけだ。

募集要項には、著作権を譲渡するという条件はなく、広報紙などに紹介するし、デザイナー名も隠さずに明記するとはっきり記載されている。つまり、そういう仕事をしたということを自身のポートフォリオに明記することができる。これのどこがプロの仕事を馬鹿にしているというのだろうか?

もちろん長時間の無償労働を行わないと実現不可能というぐらいのアウトプットを求められているのであれば、その限りではない。でもどうもそうでは無さそうだ。

リスティング広告への出稿での例

例えば「資料請求されると売上になる」スキームのサイトが、どこかのメディアに広告を出稿することで、サイトにユーザを集客する。集客したユーザが資料請求したら、サイトの売上になる。この場合、広告出稿料というコストは直接売上に結びつくわけではない。

こういう仕事を少しでもしたことがある場合、「報酬なし」に対する労力は、単なる広告宣伝費だということが理解できるはずだ。

報酬が異様に安くて、でも生活のためにはその条件でも飛びつかざるを得ないというのであればまた別だけど、これは報酬なしだ。

全く不合理だと思う。


文章と「あなたの考え」

文章系ライフハックにウザ絡みしてみました の下記の言葉が刺さった。

 でもさー、なんでだろうね、こうやって書かれた文章論の文章が、揃いも揃って無味乾燥で魅力らしい魅力がぜんぜんないのって。精進が足りないから? 努力不足だから?

 違うね。

 ほかならぬ「あなた」は、なにを考えているのかっていう問いに答えてないから。

 文章に書かれる理由があるとしたら、そういうものじゃないの?

以前、話し方教室の一日講座に行ってみた時に、スピーチの内容について「あなたが感じたことじゃなくて、分析になっている」と指摘された時のことを思い出した。

仕事で文章を書く時には「分析」で不自由していないし、また困ることもない。だけど、そうでない文章を書く時にも分析になっていると、自分で読み返して見てもあんまり面白くない文章になってしまっている。そもそも日記的なモノを書く時ですら分析になっていて、「その時に自分がどう感じているか」が全然含まれない文章を書くことが多い。いや多いというよりは、ほとんどそうなってしまっている。

文章術の本に、「話すように書きなさい」と書かれていることがある。また別の文章術の本では、それを批判して「話すように書かれた文章は、論理が成り立っていなくて支離滅裂になってしまう」と書かれているものも見たことがある。今までは前者のことは「話すことならできるでしょう。変に身構えるよりは、話している時のまま書きなさい」ということを言っているんだと理解していた。だけどこれは、「話す時のように、多少内容があちこちにフラフラしても構わないから、自分の思考や考えもあわせて書きなさい」ということを言っているんじゃないかと思った。

スピーチ原稿を用意して話す時は別として、何かを話している場合は「伝えたいことに向かって、まったく寄り道せずに一直線にたどり着く」というのはなかなか難しい。でも、どういう経路をたどってその結論にたどり着いたのかを共有することが出来るので、逆に相手に伝わりやすいことも多い。

肉の脂肪と文章の余分

肉の旨さは脂肪だと聞いたことがある。ただ、適切な量の脂肪が含まれる肉は美味しいけれど、脂肪ばっかりだと油が多すぎて気持ち悪くなってしまう。文章に含まれる余談や、本論にたどり着くまでの思考の試行錯誤は、肉における脂肪のような機能を果たしているんじゃないだろうか。

ほど良い寄り道や無駄があることにより、その文章の美味しさが引き立つ。脂肪が全くなく、ロジックの強さだけで美味しさを感じさせてしまう文章は、最高級の肉のようなもので、それが出来るに越したことはないけど、凡人がそれに到達するのは無理だろう。

書くことで考えがまとまるということは良く言われるし、自分自身が文章を書く理由の一つもそれだけど、実行するのは中々敷居が高いと感じてしまう。あらかじめどこに行くのかが未定な状態で書き始めることにより、自分でも思っても見なかった事に気付くことが出来るかもしれないというメリットがある一方、どこにもたどり着けないんじゃないかという恐怖心も強く感じてしまう。

ただ、論文を書いているわけではないので、必ずしも論理が一貫している必要も無いんだろうとも思う。少なくとも、考えを深めたり、あるいは考えるためのキッカケとなるのであれば、その文章は機能を十分に果たしているとも言える。変に難しく考えてしまって文章を書けないよりは、多少フラフラしていたとしても、数多く書いた方がいいんだろうな。量が質を生むということもあるので、しばらくは数をこなすことに注力して、思いつくまま文章を書いてみることに挑戦しようと思った。


鉄道会社保有の物件は快適なことに気づいた

うちは賃貸派なので、これまでいろんな物件に住んできた。物件を選ぶ時は賃料や広さのバランス、駅からの時間などといった、まあごく普通の基準で選んできた。ただ、その物件を誰が所有しているのかという視点も、選ぶ時の基準として考慮すべきなんじゃないかと思った。

これまで10回近く引っ越ししてきた。その規模に差はあれど、それらの物件の所有者は個人の大家さんだった。ただ今住んでいるところは、沿線開発の一環で鉄道会社が保有している物件。法人所有の物件は今回初めての経験だ。

この物件は、ケーブルテレビやNTTの光回線が無料で付いてる所からはじまり、具合の悪い所があったらすぐに修理・無償交換される。毎週マンションの清掃がきっちり入る。また自転車のイタズラがあったら、すぐに監視カメラが設置される、などなど。引っ越してきた当初から、管理費は5000円程度しか取ってないのに、えらく待遇がいいなと感じていた。これまでまったく気にしていなかったけど、鉄道会社の保有物件だったんだということにふと気づいた。

先日、仕事の関係で某鉄道会社の、沿線開発を担当している人と話す機会があった。鉄道会社保有の物件は、もちろん不動産収入を得るという側面もある。ただもっと重要なのは、沿線に人を誘致して「沿線を盛り上げる」ことらしい。沿線によっては、地域の年齢層が上がってしまっているため、再開発を行い、かつ安目の賃料の物件を建てることにより、若年層を沿線を・地域に誘致するということまで戦略的にやっているんだそうだ。もちろん単に平均年齢を下げることを目的としているのではなく、増やした若年層に対して色々な方法で訴求していくことを狙っている。

個人の大家保有の物件だと、あくまでも物件単体で収支を考える必要がある。税金対策のためにアパート・マンション経営しているというケースよりも、資産運用の一貫としてやっていることが多い。そのため、どうしてもお金がかかることに対してシブくなってしまうというのは、わからなくもない。ただ管理費を支払っている立場としては納得いかない気持ちもある。住んでいるとどうしても、何かが故障したり、あるいは共有スペースや外観が汚れてくるのは避けられない。その時にいかに対応してくれるかによって、直接意識することは無いにしても、住みやすさやストレスなどは変わってくる。

部屋や住環境といった「スペック」だけではなく、その物件を誰が所有しているのかや、共有スペースの状況や定期清掃の内容や頻度など、「管理」にどれぐらいコストをかけているかということを確認することも、物件を選ぶ時には重要な要素となってくるんだろうな、と思った。