月別アーカイブ: 2013年3月

縮約:「東京都帰宅困難者対策条例」施行迫る

今年の4月から東京都帰宅困難者対策条例というものが施行されるらしい。今日、はじめて知った。どういうものか理解するために 「東京都帰宅困難者対策条例」施行迫る を縮約してみた。

要するに、「一斉帰宅は抑制してオフィスに滞在させましょう」。「そのために必要となる備蓄をし、設備の安全を確認をしましょう。ということを努力義務として課している、ということがわかった。

事業者に課す努力義務

東京都が制定した 東京都帰宅困難者困難者対策条例(東京都条例第17号) の施行が迫っている。都内の事業者は以下の対応を努力義務として課せられている。「努力義務」は大半の企業が従う可能性があり、「従わなかった場合に、他の企業との比較によりバッシングや風評となる」リスクを含む。

(1)従業者の一斉帰宅の抑制
オフィス内での安全な滞在を確保するため、建物の耐震化の検証、1981年以降の新建物耐震基準の確認が含まれている。同時に滞在する室内が安全であることを視点に、什器備品の安全な配置、オフィス内での安全なスペース確保、キャビネットなどの固定措置など、オフィス内において人的被害発生可能性の高い箇所について対策を講じることを前提としている。

また、家族の安否確認をサポートするためのしくみを導入することも前提となっている。東日本大震災において、家族の安否確認が取れない人が多く、帰宅するか判断ができずパニックになるケースが散見された。

(2)3日分の備蓄
備蓄については事業所内で勤務する全従業員とし、水は一人当たり計9リットル、主食は計9食、毛布は1枚、その他の品目については物資ごとに必要量としている。

(3)集客施設の施設利用者保護
主に百貨店、コンサートホール等の集客施設が対象となるが、外部の訪問者が多数いる場合も考慮の対象となる。また、帰宅難民が援護を求めてくる可能性も想定されている。今回の条例では、災害時要援護者や急病人が発生した場合の対応を事業者側が検討しておく重要性が記載されている。

東日本大震災では、事業者におけるEmergency Planの中に、BCPは作成されていたもののEvacuation Planが作成されておらず、従業員の安全面視点の対策評価が甘かったことが指摘されている。建物、施設の安全性が確保されてこそ従業員の安全が維持され、事業継続計画、避難計画・再開計画も遂行されることが再認識されつつあり、より実効性のある災害時計画が整備されている。


たとえ10円でも、会社の経費は精算すべきではないか?

例えば交通費の精算であったり、文房具などのちょっとした消耗品だったり。それが少額だと手間の方が大きくて面倒なので、経費の精算をしないという選択肢を取る人が比較的多いように感じる。ただ、たとえそれが10円であったとしても、会社の経費は精算すべきだと思う。

(実際には現金で回収することはあんまり無いとは思うけど)、「売上」を現金で受領してきたというシーンを思い浮かべてみる。それがたとえどんなに少ない金額であっても、そのお金を自分のものにすることは許されない。なぜならそれは会社のお金だからだ。

その逆、つまり費用の場合にはそれを責められることは少ない。いやおそらく無い。会社にとって損はないからだ。ただ「費用」も「売上」も、それが会社にとって+なのか-なのかの違いはあるけど、会社のお金には変わりない。だとすると、かかった費用を精算しないという行為は、負の金額の会社のお金を横領していることと同じと言ってもいいのかもしれない。

よっぽどどんぶり勘定している会社を除いて、普通の会社は管理会計などを通じて、業務などの流れや状態をウォッチしている。しかし費用の正しい把握ができなくなると、これが狂いかねない。

「あまりに少ない金額だと、みみっちいと思われそうで何だか気兼ねをする」という気になることもあるかもしれない。でもそれは、(負の金額という)会社のお金を横領しないという、ごく当たり前で正しいことをやっていることにすぎない。金額の大小ではない。手間を惜しまず堂々と、精算をすべきだと思う。


スマートノートを始めた

前から名前ぐらいは知っていた岡田斗司夫氏のスマートノート。先日KDPで安売りをしていたので、買って読んでみた。

あとで調べてみたら、ほとんど 【文字起こし】スマートノート原形岡田斗司夫のひとり夜話 第4回のスマートノート の内容と変わらなかった。自分では視てないけど、文藝春秋講演の動画トークライブin奈良「岡田斗司夫のプロデュース論」(第1回スマートノート) というのもあるようだ。

スマートノートは、昔やっていたユビキタスキャプチャに近いけど、それよりもずっと思考が深まるように思える。ユビキタスキャプチャでは日々の出来事や思いつきなど、短期記憶に入ったものを何でも記録していくわけだけど、書き方や内容は全くの自由。とにかく書き留めていくことがポイントだったけど、その自由度の高さが次第に逆にストレスになっていって、続かなくなってしまった。

スマートノートでは、まずノートの見開きの右ページに、ふと感じたことを書く。最初は感じたことを書くだけなので、書くまでの敷居が低い。そしてその後ゆっくり、なぜそう感じたのかを深堀りしていく。例えば昨日考えたことは、「オンプレをクラウドに移行するとコストが見えるようになるので、チューニングに工数をかけるインセンティブに繋がる」と思いついて、なぜそう思ったのか、これを実現するためにはどうすればいいのか、と思考が広がっていった。

「感じた事をまず書く」と言うプロセスをまず通す。そしてその感じた事を言語化することで、考えるきっかけを作る。この辺りがスマートノートのポイントだと思う。決してそこで結論を出すことや論理を完成させることを目的としているわけじゃない。ノートの空白を埋めることが、すなわち考えることに繋がる。内容が中途半端で終わっても全く問題ないし、同じ事を繰り返し何度書いても構わない。

またページの使い方や書き方に対して、ゆるーい制約事項がある。これが、薄い罫線の引かれたノートに文字を書いていく時のように、ガイドのような効果を果たしてくれる。

日々、自分が感じたことを書いていくことで、物事をいかに「何となく」のままにしていた事が多いのかを気づかされた。既に、ノート上で途中まで考えたいろいろな事が、ふとした時に繋がったという経験も出来た。

久々に、これから続けていきたいと思える習慣に出会えたと思う。


やまもといちろう氏はアブラハム社に訴えられそうなのに、なぜ平気そうなのか

「いつかは ゆかし」に対する一部ブロガーによる悪質なデマに対して、被害届の提出を検討 および 一部ブロガー、広告記述内容に対する説明を代理人に対して求めるメールを送達 を読んで、やまもといちろう氏はアブラハム・プライベートバンク社に訴えられるかもしれないのに、なぜ平気そうなのかを考えてみる。

民事訴訟になった場合の最悪のケースは、訴訟を起こされて、かつ敗訴することだと思う。ただ、民事訴訟だと判決が出るまでは一年近くかかるし、上告したら(されたら)もっとかかることになる。訴える側にとっても手間も時間がかかるので、仮に「満足いく」結果になったとしても手遅れ感は否めない。最悪、賠償金を支払うだけで終わってしまう(実際は支払えと言われるだけ)。氏は裁判慣れをしているため、より現実感を持って、このあたりの駆け引き感を理解しているんだろう。

プレスリリースでは、名誉毀損などを理由に被害届や刑事告訴の準備をしているという。「届けを出した」ではなく、「準備」という所に違和感を感じる。詳しく知っているわけではないけど、刑事告訴は民事とは違って身柄を拘束される危険性もあり、よりプレッシャーを与える効果があるので、刑事告訴を匂わしているんだろうと思う。ただ、本当にまったくの誹謗中傷であれば、準備ではなくさっさと届けを出すんじゃないだろうか。

既に、削除や謝罪を求める内容証明は送ったようだけど、実際に訴訟を起こすことは無さそうに思える。

本当の「事実」は、外からはあずかり知ることは出来ない。ただ、勝手な想像や妄想ではなく、裏取りした「事実」(のようなこと)を書いているように見える。「事実」を元に自身で解釈したこと、それが結果としてアブラハム社に取って好ましくない内容であった。これはちょっと誹謗中傷や名誉毀損の線で訴えるのは難しいんじゃないだろうか。

氏はヤバ系のネタを扱うことを売りの一つとしている(と思われる)ため、簡単には引っ込められないというポジション的な意味もあるだろうけど、要するに「ビビる理由が無いからビビらない」と考えるのが自然なんだろう。頭では理解できるけど、自分だとそんな胆力は無いなあ。

ご祝儀がわりに(?)、氏のメルマガの申し込みをしてしまった。


縮約:0から1を作った経験

0から1を作った経験 が非常に腹落ちした内容だったので、よりいっそう理解を深めるために縮約をしてみる。

100年続くチームを引き継ぎ、1年間チームを率いた人はすごいけれど、その人が相手チームを眺めた時に得られるものは、それほど多くない。

同じようなチームのリーダーであっても、サークルをゼロから立ち上げ、手探りの活動を通じてどうにか大会に参加することができたキャプテンは、対戦したあらゆるチームから運営に関する気付きを得て、それを自分の経験として役立てることができる。

車輪の再発明は無意味のたとえによく引かれるけれど、再発明してみることで、誰かの車輪を眺めるだけで、そこに込められた工夫や改良を学ぶことができるようになる。

参考書から何かを学んだら、今度は参考書を自分で作ってみると理解が深まる。どうしてこのたとえ話は分かりやすいのか。どうしてこの章にはこれだけの分量が必要なのか。自分で誰かを教えたり、参考書やマニュアル本を作ってみることで、次から誰かの参考書を読むときに、異なった視点で教科書を読むことができるようになる。

お手本をなぞった人たちにとっては、改良とは「より厳密」を追求することになる。目的を定めず全方向的にベストを尽くした結果として、役に立たない「より厳密な車輪」の再発明になってしまったプロダクトは、世の中にはけっこう多い。

あれ? まとめてみると、思った以上に同じ内容が重複していた。

要するに、「0から1を生み出す経験をした人は新たな視点を手に入れることができる。それが成功しようが失敗しようが、その経験を通じて見聞きしたことにより、次に同じようなものを見た時に、なぜそうしたのか、そこに込められた意図や工夫を読み取ることができるようになる」ということを言っているんだろう。

なぜそうするのか。例え既に誰かが通った道であっても、自分で考えて試行錯誤して前に進むことにより、それの本質を理解できるようになる。