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縮約:文章を「書ける人」と「書けない人」のちがい

文章を「書ける人」と「書けない人」のちがい が腹落ちする内容だったので、縮約してみた。

文章を書くというのは100を1にする作業だ。文章を書けるかどうかは、このことに気づけるかどうかだと思う。

人が行動を変えるのは、心が動いたときだけだ。そういう文章を書くためには、たくさんのひきだしから多彩な知識を取り出さなければいけない。そういう知識は短期間では身につかない。自分のなかにある情報だけで文章を書こうとすれば、経験に基づいた私小説的なものしか書けない。ゼロを1にするスタイルでは、すぐに終わりがくる。

まず情報を集める。つぎに、集めた情報を組み合わせたり取捨選択したり。それから、情報をどのような順序で見せるか、文章の配列を決める段階があって、さらに文章の枝葉まで固めて……そこでようやく、キーボードに向かうことができる。

文章屋の仕事は、魔法のように見える。真っ白なページのうえに言葉を紡いでいく「ゼロを1にする作業」だと思われて当然だ。しかし実際には、文章を書くのは「100を1にする作業」だ。

だからと言って、キーボードを叩いてないときの文章屋が「なにもしてないように見えるけどインプットしてるの!がんばってるの!」と訴えるのは、ちょっと違う。文章屋は、書きあげた文章でしか評価されない。

要するに、文章は何もないところから産まれるのではなく、綿密な調査により蓄積した物を圧縮して書くものだ、ということを言っているんだろう。多くの場合はそうなんだろうけど、必ずしもそういうアプローチが可能じゃないケースもあるので、いまいち「ハマった!」という感じがしない。

最初に読んだときは「これだ」と感じたけど、縮約を通じて精読してみると、最初に読んだときの感銘が薄まってしまった。たぶん自分の読解力が低いから何だろうな。