月別アーカイブ: 2013年11月

架空の住所氏名って簡単に作れちゃうんじゃないの?

転居届を出すことで申請から一年間、旧住所宛ての郵便物を新住所に転送してくれるという郵便局のサービスはわりと有名だと思いますが、一年経過前にもう一度出すことで、そこからまた一年間延長出来ると言うことはあまり知られていないかもしれません。実は申請回数の制限はなく、期限前に転居届を再度出すということを繰り返すことで、転送期間を延長し続けることが出来ます。

前の住所とその前の住所から、いまの住所宛ての転居届を出す手続きをしていたときに、ふと、この仕組みを応用(悪用?)する事で、架空の住所氏名を作れるかもしれないと言うことに気づきました。

具体的な方法

転居届には在住あるいは転居した人の氏名を書く欄があります。婚姻、血姻関係にあるかどうかは関係なく、同居している人の氏名を書きます。

記載した人のうち転居した人間(つまり転送対象者)を個別に指定する方法と、記載した同居人全員を転送対象にするという方法を選択できますが、ここには何の確認もありません。つまり、同居人に架空の人の氏名を記載することにより、新たな人間を増やすことが出来ます。

例えば東京都千代田区から東京都中央区に引っ越したとします。実在するかどうかに関わらず、転居届に山田花子という同居人を加えることで、東京都千代田区の山田花子という住所氏名を作ることが出来てしまいます。

作って何に使うの?

具体的な用途を書くのはアレですが、例えば匿名で郵便物を受け取りたいとか、本人申し込みがNGなものに申し込むとか、色々ありますね。その氏名を捨てたければ再度転居届を出して更新できますし、一年間過ぎてほっとけば住所氏名ごと処分出来ます。何だか犯罪用途の方が使い勝手良さそうな感じがしますが、あまり深堀はしないようにします。

。。。とここまで書いていて、転居届って、申請した人が本人や同居人かどうかすら、まったく確認していないと言うことに気づきました。過去何度も転居届を出してきましたが、転居届の申請に関して、何らかの確認や通知をされたことがありません。

つまり、まったくの第三者の住所で架空の氏名で転居届を出すとか、いやそもそも第三者住所で全員転居という届けを出したら、勝手に他人の郵便物を盗むことが出来ちゃうような気がします。これって大丈夫何でしょうか?


技術関係の記事を別ブログに

いまちょこちょこ作業中ですが、技術関係に関する記事は TECH.thinkjp.info として別のブログにすることにしました。

記事を削除するのもアレなので、対象の記事を流し込んで、wordpress の .htaccess でこんな感じで 301 リダイレクトするようにしました。

RewriteEngine On
RewriteBase /

RewriteRule ^archives/791$ http://tech.thinkjp.info/archives/6 [R=301,L]
RewriteRule ^archives/798$ http://tech.thinkjp.info/archives/9 [R=301,L]


RewriteRule ^index¥.php$ – [L]
RewriteCond %{REQUEST_FILENAME} !-f
RewriteCond %{REQUEST_FILENAME} !-d
RewriteRule . /index.php [L]


コンビニ店員はコマンドを順番に送る必要のあるロボットと同じだなー

コンビニで買い物をする時は大抵iDを使っています。商品を選び、レジ置いた時点で

iDで

と伝えるんですが、毎回必ずと言っていいほど、商品を袋詰めした後に、「ん?」という顔をされて支払い方法を聞かれます。店員が日本人かどうかに関係ないので、日本語力の問題では無いと思います。

毎回ちょっとイラっとしながら、もう一度「iDで」と伝えるんですが、ふと、こういう人は自身の動いているマニュアル通りの順番で答えを入力してあげないと、受け付けることができないんだということに気づきました。

彼らの頭の中では、

  • 商品を受け取る
  • ポイントカードの有無を確認する
  • 商品のバーコードを読み込む
  • 温めかどうかを確認、あるいは袋詰め
  • お金を受け取る、あるいは支払い方法を確認する
  • 決済処理
  • 商品を渡す

というプロセスが順番に実行されているだけで、この順番を無視して情報をインプットしてもコマンドが無視されてしまいます。ある種の、プログラムみたいな動きをしているんですね。

そういえば昔、ファーストフードで注文の前にまず持ち帰りかどうかを伝えると、混乱したり、あるいは最後にまた聞かれてしまう、というようなネタを読んだような気がします。コンビニ店員としては、客なんて工場のライン作業で流れてくる部品のような感じなのかもしれません。これを思考停止ということもできますが、それよりも前に、何だかゾッと感じてしまいました。

少なくとも明日からは、イラっとしないように最後に支払い方法を伝えるようにしようと思いますが、何だかモヤモヤしたすっきりしない気持ちです。


電子書籍は下手に自炊するよりKindle版を買い直すのが最適解かも

My Kindleにたまたまアクセスしてみると、いつの間にかKindleで購入した本が500冊を超えていました。読むのはほとんどiPadですが、活字をKindleで読んでいると疲れるので、気づくと読むのはほとんどが漫画本になっています。Kindleで漫画を買うのを躊躇していた頃が懐かしいです。今では、少なくとも漫画に関してはもう紙では買わないようにしています。

これだけ読んでいると、さすがにiPadで漫画を読むのにも慣れてきたので、今更ながらそろそろ紙の漫画も電子化したいなと思うようになりました。小さめの本棚にある200冊の漫画本が電子化されると部屋のスペース的にもそこそこのインパクトがあるので、これを電子化するには? という視点で考えて見たいと思います。選択肢は3つでしょうか。

  • ScanSnapを買って自分で電子化
  • 自炊代行業者に依頼
  • Kindle版を買い直す

自炊の場合

まずは自分でやる場合。ScanSnapはおよそ35,000円ぐらいで買えそうです。ただ裁断機まで含むと合計5万円ぐらい。これの利点は言うまでもなく、かかるコストは初期費用のみ。あとは自分の時間をかければ、今ある本も今後買う本も電子化することができます。かかる時間は一冊15分ぐらいだとすると、200冊で3000分。つまり50時間。一日1冊やったとしても、200日かかります。

費用:5万円
時間:50時間
完了までの日数:半年以上?

業者に頼む場合

自炊には興味がなかったので自炊代行業者はほとんど知りませんが、ちょっと調べた限りBookScanという業者が良さそうです。一冊100円、色々なオプションが付いたプレミアム会員だと月に50冊まで無料で月額およそ1万円。自分がかかる手間は郵送するだけなので、まあ合計1時間位でしょうか。ただ通常会員だと2〜3ヶ月待ち、プレミアム会員だと一週間という納期のようです。

費用:2万円もしくは4万円
時間:1時間
完了までの日数:3ヶ月もしくは4ヶ月

Kindle版を買い直す

すでに持っている本を買い直すなんて無駄だと思っていたため、実は、この文章を書くまでちゃんと考えたことのない選択肢です。一冊300円〜500円ぐらいでしょうか。仮に400円だとすると200冊で8万円。ただしストレージやコンテンツの調整などを一切考えなくていいという利点があります。

費用:8万円
時間:0?
完了までの日数:0

で、結論は?

費用的に一番安いのは自炊代行業者に頼むことですが、ストレージのコストと、いざ読みたいと思った時の手間が入っていません。いま持っている本のうち、あんまり読まなそうなものを処分してしまい、もしまた読みたくなったらその時にKindleで買い直す。実はこれが最強のように思えてきました。持っていれば確かにたまには読み返したくなる時もありますが、いざコストなどを計算してみると、ずーっと場所を取って持ってるものでもないような気がしてきました。

今のまま紙の本を持ち続けていればコストはかかりませんが、場所は取り続けます。部屋をスッキリ綺麗にしたことによる爽快感。それを味わうためにお金をかけるのも悪くない。少なくとも、もうほとんど読まない本をピックアップして処分してもいいかな、そう思わせる計算結果でした。


「伝える」についての勘違いと日本ユニセフ問題について

文章の書き方、特に文法や言葉の使い方などではなく、「書くという行為」に関する考えや心構えについて書かれた本においては必ずと言っていいほど、「何を伝えるのか」ということを明確にする必要がある、ということが書かれています。

今まで勘違いしていたということに急に気づいたんですが、あくまでも「何を」伝えるかを明確にしろと言ってるのであって、書こうと思った事柄に関して解決策や提言、誰も知らないようなことを書かないといけないというわけではない。もちろん書けるに越したことは無いですが、その事柄に関して「あなたはどう考えるか」それを書くことこそが重要かつ唯一の目的なんですよね。

なぜ今までそう思っていたのかわかりませんが、その結果として「書くこと」に関して、自分で勝手にハードルを上げていました。何か気になったことについて、自分の視点、その時の能力で考えたことを書けばそれでいい。

最近話題の日本ユニセフについて考えてみた

日本ユニセフ経由だと募金総額の25%(でしたっけ?)をピンハネされてしまうけど、黒柳徹子のユニセフに直接募金をすると100%募金に回る。日本ユニセフは偽善的な組織で、募金によって私腹を肥やしている。ここ数日、そんな話が話題になっています。

「アグネス憎し。私腹を肥やす日本ユニセフはけしからん」というものと、「人が動くとコストがかかる。黒柳徹子は確かに100%募金ではあるけど、資産のある黒柳徹子だから出来る。募金総額はピンハネしていると言われている日本ユニセフの方が多いじゃない」そういった意見を読みました。

私自身の意見は後者、ただし募金総額から抜く金額が常に一律なのは乱暴じゃないか、と考えています。

物事にかかる費用には、家賃などのようにそこに住む・利用する人間が何人であっても固定の金額である「固定費」と、給与や交通費のように人が増えるとその分だけ増える「変動費」の二種類があります。人1人あたりにかかる費用を計算する際は、固定費を人数で割る(按分する)ことで計算します。当然、実際の人数が増えれば増えるほど一人当たりの固定費は薄まっていきます。

日本ユニセフの募金額からコスト分として抜く割合は、ある人数までは妥当なんでしょう。ただ、ある閾値を超えた時点で貰いすぎになってしまいます。港区にかなりのコストをかけて事務所を作ったという話もあるようですが、固定費比率が薄まりすぎてしまうため、抜く割合の妥当性をキープする。これが事務所などに大きなコストをかけている理由なんじゃないでしょうか。抜く割合を一定額にするのではなく、ある金額を超えたらその割合を階段状に下げて行く。そのような方法にすることで、このような固定費を上げて続けていような行動を抑制できるのではないでしょうか。

ユニセフと日本ユニセフの関係について自分は何も知らないし、どうあるべきだという意見を持っているわけではないので、何も言えないなー。そう思っていましたが、解を持っていなくても、そのテーマについて自分の視点・考えを伝えるだけでもいいんだ。そう考えると、とたんに文章を書く敷居が下がったように感じます。しかも、書くまでは考えてもいなかった自分なりの意見を見付け出すことができました。


ケツ毛に間一髪の所を助けられた

人間の体の中で最も無駄なものはケツ毛である。かの夏目漱石先生も言いました。言ってません。

しかし今日、その無駄だったはずのケツ毛によって九死に一生を得た経験をしました。
大丈夫です。漏らしてしまった人は居ません。

奇跡の軌跡

ここのところ風邪でずっと調子が悪く、具合が悪い日が続いていました。

今日の仕事を終え、電車に乗ったあたりからでしょうか。お腹が少しゴロゴロしてきたかな? と感じるようになってきました。いっそのこと痛くなっていれば普通にトイレに寄って帰っていたんでしょうが、そこまでは痛くなく。まぁ普通に家まで持つ、というか別にトイレに行きたくなるほどではありませんでした。この時点では。

ただ家に近づくにつれて、少しずつ少しずつ、何だかお腹が自己主張をしてきました。それでもトイレに寄って帰りたくなるほどではなく、なんとも言えない中途半端な状態。

いつもはコンビニに寄って雑誌を立ち読みして帰ることが多いんですが、何だか嫌な予感がして、今日はまっすぐ帰ります。家に向かって歩いていくと、どんどんお腹が痛くなってきます。どん、どん、どん。定期的に波が襲ってくる感じで、何だかやばそう。

それでもようやく家に着き、ドアに手をかけた瞬間。

ぷす、ぷす、ぷすー。

まったく出る予兆がなかったにも関わらず、急にオナラが出ました。これはマズイ。違うものが出てしまうかもしれない。そう思って必死に耐えようとしたんですが、全然効果がありません。

「出そうなのに耐えきれなくて出してしまう」

そういうものとはまったく異質の感覚。そもそも出ようとする実感がないので、まったく止められません。

パス、パス、パス。
ブリュリュリュ。

ああああああああああぁ。
絶望的な音が聞こえました。絶望的な思いを抱えたまま、トイレに駆け込むます。そしてパンツを見ると、

何もありません

えええ? 確かに何か出たような感覚があったのに。

しかも、そのまましばらくトイレに座っていても、さっきまであれほど自己主張の激しかったにも関わらず、何一つ出ようともしません。何か釈然としない思いのまま、念の為お尻を拭くと。。。何だか水っぽい。

はい。そうです。ケツ毛が、突然の訪問者を全て受け止めてくれていました。思いもよらない援軍でした。この時ほど、いくら邪魔だからといってケツ毛を剃らなくて良かったー、と思ったことはありません。

普段は何の役にも立たない、むしろ邪魔に感じていた存在だったのに。いざという時はやってくれるんですね。人間の体には無駄なものは何もない。どこかで聞いたような聞いてないような。そんな言葉を思い出しました。


ツールとしての文章と、目的としての文章

文章術について悩み、色々な本や記事を読んできました。その結果、

  • 何か目的やメッセージがあり、文章はそれを実現するためのツール
  • 文章を書くことが目的そのもの

の二種類のケースがあり、文章術やブログ術の多くが前者を対象にしたものだということを理解しました。特にプロ志望の人を対象にしたものは、ほとんど全てです。

前者を目的とした文章の場合、言いたいことをあらかじめ明確にしてから書け、読む人の立場で書け、などなどのコツが書かれており、確かにそれ自体は納得できることばかりですし、書かれた文章も読者にとって「面白い」と感じる文章になるんだと思います。

ただ、その文章、書いている人自身は「楽しい」と感じられるんでしょうか?

アフィリエイトブログやあるいは何らかのブランディングなど、何か別の目的があって、文章はそれを実現するための単なるツールであれば、文章を書くことやその内容で楽しむ必要なんてありません。だからそれが目的だったら、読者のことだけを考えた文章でいいんだと思います。

ただそれだと、書くという作業の中で、自分でも気づいていなかったことを発見できた。モヤモヤしてよくわからなかったことが、文章を書くことでスッキリ整理された。書くこと自体を楽しむことはできません。

ちまたの文章術を読んで、その内容を理解や納得はできるけど、何だかしっくりこない。そのモヤモヤした感覚は、その目的が自分とは違っていたからだということに気づきました。世の中・他人に対して何か伝えたいことがある人はまた別なんでしょうが、自分のように特にそういうものが無い人間にとっては、

そもそも伝えたいことがない。だから、文章を書くことで他人に伝えたいことも無い。

わけです。「何かを伝えることを目的とした、ツールとしての文章」に関する記述がしっくりこないのも当たり前でした。

自分自身にとっての文章は、目的そのもの。書くことによって、色々なモヤモヤしていたものをスッキリさせたい。

確かに、読む人にとってはそれは「面白い」文章ではないかもしれませんが、他人の前に自分自身がまず「面白い」と感じる文章で無いと、書く目的がなくなってしまいます。まずは自分自身が楽しいと感じられることを第一に、文章を書いていきたいです。

 


医者と女房は新しいほうがいい

いや、女房は関係無いんですが、風邪ですごく久々に病院に行きました。正確には町中にあるクリニックですが。

風邪なんてどこの病院でもいい。どうせロクな診察もされないし、薬がもらえればいい。そう考えていつもは近所の古ぼけた病院の内科にかかっていたんですが、間違っていました。新しい病院・機材、専門医の威力をカラダで体験しました。

耳鼻咽頭科に行った

先週からずっと風邪を引いて調子が悪かったので、風邪薬を飲みながら騙し騙しやってきていたんですが、先週後半あたりにいよいよダウン。2日会社を休んだ所でこれは駄目だと思い、病院に行くことにしました。

インフルエンザや風邪には特効薬は無く、熱や鼻水などを緩和するという、いわゆる対症療法しか無いので、基本的には安静にして自身の免疫力で治すしか無いということは知っています。

自分の風邪の症状は、たいていは鼻水や喉の痛みが激しく、あとはその時々によって熱と咳が出たり出なかったり。なので、近所にここ1年ぐらいに新しく出来た内科併設の耳鼻咽頭科に行ってみたんですが、なんで今までここに来ることに考えつかなかったんだ、と後悔する程の劇的な違いがありました。

今までの風邪の診察方法といえば、ごく簡単な診察を受けて、薬か処方箋をもらって帰る。それだけでした。しかしこの病院は、新しいからなのか、あるいは耳鼻咽頭科だからなのかわかりませんが、いつもよりも心持ち鼻や喉の検査が長めに感じた診察が終わった後に言われました。

じゃぁ、あとは吸引をしていってください。
薬を喉とかに直接当てますのでねー。

「んん? 何のこと?」と思い看護師さんに示されるまま別室に行くと、そこには横に細長く、6つのチューブが出ている機械がありました。

チューブ2本が1セットで、左からハナ、ノド、??(忘れました) と書かれています。指示されるまま、まずはチューブを鼻の中に突っ込み、鼻から息を吸います。特に痛かったり苦しかったりということはありませんが、鼻の中に粉があたっている感じがします。それから隣のチューブを口に入れて今度はノドに対して同じことを。最後の1セットは使いませんでした。

こんなことをやったのは生涯初めてで、何だこれ? と一瞬感じましたが、効果は抜群でした。

それまで水っ鼻が残っていた鼻が完全に通った上に一気に止まりました。少し痛かった喉の痛みも無くなりました。喘息の吸引器みたいなものなんでしょうかね。終わった後にうがいをするようには言われなかったので、もしかしたら違うのかもしれませんが。

しかし、この機械の効果は凄いです。実は風邪はまだ全然治っていないので、鼻水とノドがスッキリした効果しか無かったんですが、それでも充分助かりました。

開業医の場合、なかなか新しい機械を買うことも出来ませんし、よほど勉強熱心な医師でない限りは、過去に学んだ古い手法のままになってしまうのもしょうがないかもしれません。ただ開業間もない病院であれば、少なくともその時点での最新の手法と最新の機械が導入されるわけなので、若手の生きのいい開業医の居る新しい病院は、なかなかいいかもしれません。

チューブを鼻に突っ込みながら、そう感じました。


専業主婦の年収を1000万円と言うのは勝手だけど

最近もまだそう言われているのかどうかはわかりませんが、以前、専業主婦の労働を年収に換算すると1000万とか1200万円になる(だから離婚時の財産分与額は、それを加味して計算しなさい)という話を読んだことがあります。

その額の算出根拠や妥当性はともかく、値付けは言ったもん勝ち。本当の価格は「相場」で決まる、ということを理解していない人が多いんだなー、と感じました。

例えばIT業界はそれの顕著な業界です。多少スキルが微妙な人であっても、ITスキルを持っている人が少なかったり居なかったりする会社では重宝され、またその評価も比較的高くなります。一方で、そのスキルを持っている人がいくらでもいて、かついなくなっても困らなかったり簡単に補充できるような状況においては、相対的に相場が安くなるため、評価もそれに乗じて低くなります。

値段をつけるのは自由。ただ、その価格で買ってくれる人がいないと単なる妄想にすぎません。骨董品屋で、誰も買う人がいないようなものに法外とも思える金額をつけて、その結果いつまでも売れ残っているようなことになります。

物の金額を評価する時は、本当にその金額で売買されるのか(買う人がいるのか)ということを見ることで、その妥当性を判断することができます。


自分の書いた文章を、面白く感じられるようになるための第一歩

文章力を付けたい。どうも定期的にそう感じるサイクルがやってくるようです。そういえばこのブログを書いてみようと思ったきっかけも、自分の考えを文章としてまとめるのが苦手だったのを何とかしたい、そう思ったのがはじまりだったような気がします。

最初はとにかく数をこなさないといけない。質はその後から付いてくる。そういう意見をあちこちで読みました。だから最初は、内容はどうでもいいので、毎日更新することだけを目標に書いてみました。これは数ヶ月ぐらい毎日継続できたのでクリア。

その次は、質を高めるということを意識して書くようにしました。でも、ブログが続いたのはそこまで。こんな内容じゃダメだ。そう思ってボツにする文章がドンドンと増えていき、そのうち挫折してしまいました。

ライティングマラソンにチャレンジ

文章力を高めたい!という意欲がまた高まってきた今。文章力を上げるために、参考になりそうな書籍やネット記事をまた読むようになりました。

色々な記事を読んでいた中で、自分の書く文章は価値がない」を抜け出すライティング・マラソンという方法←自己検閲を振り切って書きなぐるために という記事でライティングマラソンというテクニックを見つけました。

ライティングマラソンとは、1セット10分〜15分という制限時間を設け、その間は誤字や論理のおかしさなどを一切無視して、ひたすら思い浮かんだことを文字として吐き続ける。書けることがなくなってしまったら、書けることがなくなってしまったということを文字にして、とにかくひたすら書き続ける、という手法です。

これが、自分にはしっくり来ました。この感じを言語であらわすのは難しいんですが、「ついに手がかりを見つけたぞ」というのが近いでしょうか。

文章力をつけるには書き続けないといけない → でも自分の文章を面白いとまったく思えない → だから書けない。書きたくなくなる。

こういう負のサイクルが回ってしまっていた自分にとっては、とにかく何でもいいから制限時間いっぱい書き続けるという、ライティングマラソンのメソッドがピッタリはまったような感じがします。

「面白い文章」とは?

自分で自分の文章を面白いと感じることができない(当然、他人が読んだらもっと面白くなかったはず)。その理由は、「自分にとって面白いと感じる文章は何か? どういうものか?」ということが明確になっていなかったからでした。

自分が知らなかったことについて書いているもの。「知らない」を「知ってる」に変える文章。そういった知識欲を満たすような文章を「面白い文章」と考えていたのかもしれません。確かにそういう文章も「参考になる」ですし、それを「面白い」と感じる人も多いでしょう。でも少なくとも自分にとっては、それは「面白い」文章ではなかったんです。

いや、この表現は正しくないです。正確に言うと、他人の書いた「知らない」→「知ってる」に変えてくれる文章は面白い。でも自分が書く文章の場合は、自分は既に知っていることなので、それを書いても自分にとって「面白い」とは感じられない。これが自分の文章が自分で面白く感じられないモヤモヤの正体だったのではないかと。

ライティングマラソンのように、連想した事をひたすら文字にして書き続けるということをやると、それまで自分でも思っていなかった考えが飛び出してきたりして、意外な発見があります。また、その考えに至るまでの自分の思考のプロセスのようなものが全て残るため、どこをどう通ってそこに到達したのかが、よく分かります。

昔、会社の朝会で回ってくるスピーチが苦手で、まあ今でも苦手のままですが、それを何とかマシにしようと思い、とある話し方教室の一日集中講座というものに参加したことがあります。そこで指摘されたのが、

あなたのスピーチは話す事についての分析になってしまっている。
それについてあなたはどう思うのか?
話す相手はそれを知りたい。

ということを指摘されたことがあります。その時はあまりきちんと理解できていなかったんですが、今ならわかります。

自分・他人のどちらであっても、自分が「面白い」と感じる文章は、その文章で取り上げている事柄について、筆者がどう捉えて、どう考えているか。それが見えている文章を「面白い」と感じます。

ライティングマラソンという手法を知ったのは昨日なので、この手法を使って文章を書くのはまだ2回目です。でも、書いた文章を自分で読み返して見てもそんなに破綻した内容にはなっていません。また書かれた文章を見ても、「面白い」はまだまだ不十分ですが、少なくとも自分の文章が嫌じゃなくなっています。

これは大きな一歩です。

文章を書くのが好きではない。でも好きになりたい。

こういう感覚は、元々文章を書くのが得意だったり好きだったりする人にはわからない感覚かもしれません。でも自分もようやく、文章を書くという行為が好きになれそうな予感がします。